裏路地商店 -葉月亭-

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B.Mercenary 01

 Day 134

 数々の武器が衝突し響く。
 息を止め、緩やかに振るった銀の剣は白い弧を描いた。ビュンッ、と鋭く鳴らし、バキンッと火花を咲かす。しかし勢いが乗った大振りの得物を相手に、一回り二回りと小さな剣が敵う訳もなく、すぐに手元を引き寄せて一歩飛び退いた。直後、元居た場所の地面が、重い衝撃と共に十数センチ抉れる。その光景を目の当たりに、相変わらずのとんでもない力だと感心してしまった。長剣を持つ青年は、息継ぐ間もなく再び距離を詰める。
 ずっしりと重みあるはずの大剣は、これまた容易く地面から引き抜かれ、自在に扱う男は明らかに体格が違った。傷が目立つ貧相な鎧を身にまとい、覗かせる褐色の太い筋肉で物言わせている。黒のバンダナで雑に巻き上げられた褪せた青髪と、濁る青の瞳が鋭く前を睨んだ。
 一歩、音もなく踏み出した大男は百九十少しの長身で、この場で誰よりも目立っている。一方、大男の隙を探るのは百七十程度の青年だ。ミディアムヘアの赤い髪を躍らせながら、砂埃が巻き上がろうと、青い瞳を瞬きせずに対峙する。ザリッと足元を強く踏み込み、剣を横薙ぎに振るった。狙うは相手の大男の胴。しかし大剣に阻まれてしまい、渾身の一撃もあっさりと弾かれてしまう。予想以上の素早い動きに、青年は舌打ちした。
 弾いた衝動でこじ開けた一瞬の隙に、青年は再び身を引こうとする、その時だ。

 「――っ!」

 片足が、地面から離れない。目の前に迫り来る大剣の影、足元へ目をやるとそこには、泥から生まれた『シモベ』が左足首を掴んでいたのだ。バランスを崩し、地面に背中を強く打ち付け倒れ込む。肺に入っていた息を吐き出し、だがその痛みに悶える間もなく、剣を横倒し両手で突き出した。間一髪、大剣の振り下ろしを防いだものの、腕にビリビリと痺れが走る。
 歯を食いしばり、何とか凌いだ青年の額から汗が一筋。攻防する両者、一瞬でも気が抜ければやられるか、逃すかの結果が突きつけられるだろう。大剣を持つ男は、ぐっと更なる力と体重を乗せ、ちっぽけな剣はガチガチと悲鳴を上げた。

 「ぐっ……」
 「どぉした柳火、降参しねぇとここでオサラバになるぜぇ!?」

 柳火と呼ばれた青年は、思考を焼き尽くさんばかりにフル回転させる。しかし大男も力を緩めれば、瞬く間に獲物を逃してしまうだろう。お互いに決して油断出来ない相手だった。何せ今まで、何戦もの試合で相手にしてきたのだ。互いに技術を磨き上げ、新たな力をこなすようになり、何度だって手合わせしてきた。だと言うのに。
 空気の流れが変わる。大男はほぼ全体重を大剣に乗せ、力を緩めないままにピクリと反応を示した。湿っぽくぬるい風が吹き込む、今の時期は違和感のない自然の一部だっただろう。だが微かに、風を操る魔力を感じ取った。大男は地面に倒れ込む相手へ視線を下げ、気付く。にやりと勝ち誇ったような、自信家の顔が。
 ビュンッと空気を斬る音。砂埃を巻く刃が向かう先は、足だ!

 「チィッ!」

 足首が切られるギリギリラインで、大男は舌打ちしながらその場を飛び退いた。ようやく強大な圧力から解放された青年は、ゆったりと立ち上がる。同時に持ち上げた長剣は、あれほどの負担をかけたのにも関わらず、刃には数ミリのヒビが入った程度で済んでいた。これではまるで仕切り直しだ。大男は改めて大剣を担ぎ踏み込み、青年を切りかかろうとする。
 その時だった。目にも止まらぬ速さで、大男の頭に何かが当たり、スイッチが切れたように巨体が地面に突っ伏される。

 「ジェラルド、貴様は一体何度止めだと言えば分かるんだ!」

 柳火はジェラルドと呼ばれた大男へ、無言で哀れんだ視線を送りながら静かに息を吐いた。頭に直撃したのは、その辺の小さな石ころ。それが剛速球で投げられると、凶器になり得るものだ。鋭い怒声が上がるや否や、辺りはしんと静まり返る。

 ズカズカと二人の元へ歩いてきたのは、軽鎧を着ている長身の女性だった。蜂蜜色の透き通った髪を丸く一つにまとめ、白い肌と整った顔は誰が見ようと美人に映ろう。しかし、如何にも不機嫌を漂わせている赤眼が、青年を睨み石にする。腕や腿の盛り上がりは、戦場を駆ける屈強の戦士のように見えた。――否、実際彼女は『戦場の女神』とも呼ばれる、とんでもない実力者なのだが。
 同じく手合わせしていたはずの人々は、気付けば手を止めて、視線が一点へ集中させている。その瞳は幾度と見てきて、呆れているように思えた。

 「ヒルダ、さん」
 「訓練中は先生だと、貴様も何度言えば分かるんだ!ジェラルドに柳火、一連の訓練が終わってもここに残れ!」
 「ハァ?ジェラルドを止めたのにこの仕打ちか!?」
 「今回の訓練は、魔法の使用を禁止したはずだ」

 その時突如冷静さを取り戻したヒルダは、教え子へ静かに指摘する。「あれは試合を止める為に仕方なく」と言葉を濁し、痛いところを突かれた柳火は苦い表情を浮かべた。彷徨わせていた視線を足元へ向けるが、原因を作った問題児は未だ地面で伸びたままだ。起き上がる気配は、まだない。
 相手との体格を比べ、生じる力の差も歴然である。それに加えて柳火が持つ武器の一つ、魔法さえも封じられては手も足も出ないのだ。そんな状況で熱くなった試合を止めろと言われようと、無理があると目で訴えた。意図を読み取ったのか、思うことがあるのか、すんなり応じない青年の態度に小さく息を吐く。
 やがてヒルダは、僅かに膝を折り目線を合わせてから、他に聞こえぬようにと声を潜めた。

 「私から、二人に話したいことがある。時間をくれないか?」

 燃えるような瞳は、青年の髪色さえ取り込んだような鮮やかさを放っている。曇りのない赤眼は、色素が微妙に異なる碧眼を見つめ数十秒。長いようで短い沈黙の末、柳火は渋々と頷いた。返答に満足したヒルダは口端に笑みを浮かべ、大きな手のひらでくしゃりと柳火の頭を撫でる。賢い奴だと、先生は笑った。

 ヒルダから真剣に出た頼み事は、小言をつらつら並べるような説教ではない。確信を持った上で承諾したものの、内容が気になったせいか、それ以降の話はまるで頭に入って来なかった。
 先生が今日中に教えたがっていた項目を、一通り並べ終える。魔法もなしに力と知恵、技術を振り絞り、どう強敵相手に立ち向かい切り抜けられるか。ヒルダはそれぞれの訓練生に、異なった課題を提示する。
 そこでようやく、気絶していた問題児は起き上がったのだった。



**********

 傭兵ギルド『黒の傭兵』が構える町、ヴァ―ロス。
 特筆される行事や名産品はまだなく、町が少し賑わっているだけである。それも最近になっての話であり、十数年前までは人も少なく閑散としていたらしい。柳火がヴァ―ロスへ訪れてからそれなりに経過しているが、書籍に記されてる訳ではなく、人づてでしか情報が得られないのだ。……そもそもこの町の住民で、字が書ける者は圧倒的に少ないのだが。
 何故、こんな場所に傭兵ギルドが出来たのか。恐らく知る者は一人二人存在しているはずだが、これもまた不思議と知る機会に恵まれない。設立者は、数年前に戦死したようだ。

 「何だよ、話って」

 依頼の羊皮紙が貼り付けられた、憩いの酒場はもちろんのこと。『黒の傭兵』ではその他にも様々な施設が揃っており、中には傭兵以外に一般開放されている場所も存在している。柳火とジェラルドが残された訓練場では生憎、関係者以外立ち入り禁止であるが。
 つい数刻前に起き上がったジェラルドは、二人の間で交わされたやり取りを知らぬまま。今から長い説教が飛んでくると思い込んでるようで、話を切り出されるといよいよ元気がなくなっている。平然とした素振りを見せる柳火と、憂鬱なジェラルドを見比べた後に、ヒルダは大袈裟に溜め息を吐いた。

 「お前達は先日、老夫婦を助けたのを覚えているよな」
 「んぁ、ろうふうふぅ……?」

 ヒルダから飛び出た想定外の言葉に、すっとんきょうな声を上げたのはジェラルドだ。ブルーグレイの瞳をぱちくりと瞬かせてから、柳火と顔を見合わせる。もちろん、柳火にも心当たりがあった。

 今から四日前の話だ。
 ヴァ―ロスは都市から都市へ、旅路の通過点として利用されることが多く、馬車が交わる光景も珍しくない。その日の晩、見回りするはずの治安隊が不足していたのか、報酬と引き換えに傭兵が駆り出された。それが柳火とジェラルドだ。
 仕事の内容は至ってシンプルなもので、怪しい者を見つけた際は治安隊に突き出すように、そして助けを求められたら手を貸すようにと。一人銀貨三百枚、場合にもよるが比較的美味しい仕事であり、断る理由はなかった。町周辺の地形はそう複雑なものでなく、馬車道が数本ある。それ以外はたまに木が生えてたり、小屋がある程度の何もない平原だ。そう警戒する必要もないが、稀に飢えた盗賊が出没している。暗い以外に視界は良好、厄介な動物も出没せず、実に楽な仕事だ。

 そして、朝焼けを拝むにはまだ早すぎる時間帯。退屈に欠伸を噛み殺していたジェラルドは、ふと一つの団体に目を止める。どうやら金に困った盗賊が馬車を捕まえたらしく、キラリと光らせたちっこい短剣を見せびらかしながら脅していた。それからの救出劇は異様に早い。
 ジェラルドは盗賊の背後を取りに駆け、柳火は魔力によって風を呼び起こし、ジェラルドへと風をまとわせた。可視し辛い上に、夜の暗闇を味方に引き込んで、気配の感知を遅らせる。脅していた盗賊の後頭部へ、大剣の柄を勢いよく突きつけた。それからまとう風は暴風へと変わり、盗賊団の仲間が怯んだ隙に、同じ手段で見事全員気絶させることが出来た。
 後に伸びたチンピラを治安隊へ引き渡し、見回りの仕事を完遂させたのだ。
 まさにその時襲われていた馬車には、気品のある老人が二人乗っていた気がする。会話も一言二言交わした程度で、周囲が暗くてよく見えなかったのだが。未だここに留めた意味が分からず、柳火は首を傾げる。

 「その老夫婦が、凶悪犯だったとでも?」
 「えーっ!そうだったのか!」
 「馬鹿、例えばの話だ」
 「全然違う、貴様は何故そんな悲観的に捉えるんだ」

 本気で驚いた様子の巨体へ、柳火は思わず軽く殴った。先ほどの試合で生じた恨み、八つ当たりも多少含まれている。そのやり取りに笑うことなく、ヒルダはやれやれと肩をすくめて首振った。そして豊満な胸の下で腕を組み、キッと鋭く睨みつける。彼女に睨まれたからには、動きも自然に止まってしまった。
 妙な緊張感が漂い、柳火は唾を飲んだ。

 「今朝、その老夫婦がギルドに訪れてな。お礼がしたいのだと」

 しかしヴァ―ロスを発つ時間も迫っており、生憎訓練中だった二人に会うことは叶わなかったと言う。たまたまその場で休息を取っていたヒルダは、老夫婦から伝言があれば受け取ろうと声をかけたようだ。そしてヒルダは、いつからか腰に下げていたらしい革袋を取り出した。じゃらりと、重そうな音が鳴る。
 膨れ上がったその丈夫な革袋を前に、柳火とジェラルドは目を見開いた。思わず正体を聞きそうになったが、それは火を見るより明らかで、柳火は言葉を飲み込む。それも今までこなしてきた仕事の報酬よりも、ずっと大きく膨らんでいた。

 「銀貨千枚、二人で分けて五百枚だな、老夫婦から渡して欲しいと頼まれた。平等に分けるんだぞ?」



**********

 時は夕刻。
 この日の訓練はあの手合わせが最後だが、二人が鬼教師から解放されたのは、柳火が想定していた時間よりも一時間後だった。思わぬ追加報酬に心躍らせ、快く終わりを迎えられたと思いきや、直後ヒルダからの長い説教が露わとなったのだ。今回の訓練中、魔法の使用を禁じたにも関わらず、ジェラルドは召喚術に類するシモベを呼び出し、柳火は風を操った。その罪は実に重い。
 度重なる相槌と、反省の言葉を並べ続け約二時間。すっかりへとへとに疲れてしまったかと思いきや、ジェラルドは思いの外元気だった。その証拠に、傭兵ギルドから外へ出るなり突如、「お前に贈り物してぇ」っと欲望をぶちまけたのだ。
 目の前にガラガラと轍を残しながら、馬車は通り過ぎていった。

 「柳火、お前に贈り物がしたい!」
 「まるでプロポーズのように言わないでくれ、気持ち悪い」

 今度は名指しで欲望を吐き出すジェラルドに、隣を歩いていた柳火は真顔で冷たく返す。まぁそう言うなと上機嫌で笑うジェラルドは、太い腕を柳火の首に回そうとしたが、危険を察した青年はひらりと逃げて躱した。その拍子に肩に掛け背負っていた、重みの増した麻袋がぽふんと柳火の背を叩く。一方同期に逃げられたジェラルドは、未だ片手にあの革袋を握り締めていた。ニヤニヤした笑顔に顔をしかめながら、何をまた唐突に、と柳火は問う。
 どうやらジェラルドは、「あの時に手柄が取れたのは柳火のお陰だ!」と結論付けたらしく、それが彼にとって必要事項だと。語彙が貧困な本人の話を簡潔にまとめると、つまりそう言うことらしい。

 黄昏に染まるヴァ―ロスは、太い街道で様々な雑踏と会話が入り混じっていた。今夜の宿泊先を探す旅人、夕飯の買い出しに歩く女性、仕事帰りの一杯に酒場へ向かう男性。皆それぞれの日常を過ごしており、これから訪れる夜に備えている。ここは、何の変哲もない町だ。都市と呼ぶほどの大規模ではないが、それでも人々の生活を眺めて楽しめる、立派に栄えた町だった。

 「なぁ、今死ぬほど欲しいもんとかねぇのかよ?」
 「特にないな。あれば俺は今死んでるだろうし」

 大通りの端を歩きながらジェラルドは一人で唸っており、時々店の看板へ視線を投げては、すぐに前方へと戻す。それを繰り返すこと数分、結局決定打もなく本人へ直接訊ねるものの、無欲な当人は興味なさそうに答えた。
 初めに目を付けたのは、数々のアクセサリーが売られている装飾店。しかし、これは女性向けだと首を振る。次に目を付けたのは、力のない者向けに売られている武器屋。だが、柳火には既に護身用の短剣があるんだと、ジェラルドは頭をガシガシ掻く。続けて目を付けたのは、近くの都市で作られている酒が鎮座している酒場。否、柳火は飲酒しないと決め込んでいるようで飲んでくれない。特別酒に弱いと言う訳でなく、寧ろかなり強いらしいが……。

 「お?」

 やがて贈り物の手駒が尽きた頃、ジェラルドは何かを見つけたようで足を止めた。柳火もつられて立ち止まり、どうしたと振り返って気付く。
 視線の先は、古ぼけた木造の一軒家。扉上に小さく掲げられた看板には、『時空配達人』と見慣れない店名が載っている。
 扉付近の壁に取り付けられたボードには、一枚の羊皮紙が貼られていた。黒インクで汚くはみ出さんばかりの大きさで、『未来のあの人へ、過去のあの人へ、配達します!』と大袈裟なことが書かれている。あまりの非現実的な口説き文句に、赤髪の青年はすぐに興味をなくしたのだが、一方黒バンダナの大男は無言でじっと紙を見つめていた。
 嫌な予感を覚えた柳火は「おい」と帰路へ誘ったのだが、それに対しジェラルドは「これだ!」と弾けた歓声を上げる。目を輝かせ、じゃらりと握り締めていた革袋を鳴らしながら、ガハハと豪快に笑った。

 「よし決めた、お前への贈り物はこれを使ってみるぞ!」
 「はぁ? っておいちょっと待て、ジェラルド!」

 彼がこうなれば、もはや誰にも止められない。善は急げと叫びながら、ジェラルドは先ほど歩いてきた道を、土埃を巻き上げる勢いで引き返してしまった。取り残された青年は、ただぽつりと店の前で佇んでおり、どうしたものかと腕組んで思考を回す。
 広告から既に胡散臭く怪しい店だが、確かに惹かれるものもあった。絵本の物語にしか見たことなかった、時を渡る夢のような魔術が、目の前で商売されている。生まれた時から人一倍知識欲が強い柳火は、もう一度真実味の薄い広告文を読んだ。汚い字から脳内でゆっくりと理解していく、その際に小さな一文を見つけ、思わず声が小さく上がる。
 『配達一度につき、銀貨三百枚の手数料を頂きます』と書かれた文字。恐らくこの一文は、張り切っていた彼の目に届いていない。
 その時だ。
 突如店内から床が軋むが聞こえ、ハッと身を強張らせた。傍から見るとこれではまるで、利用するか否か迷う客ではないか。肝心の利用する気満々の連れは、一人声上げるなり早々にどこかへ走り去ってしまった。立ち去るべきか、しかし体は硬直したまま動かない。葛藤を繰り広げている内に、とうとう店の扉は開いてしまった。
 店からひょっこり顔出してきたのは女性だ。透き通るような白い肌に、銀色の長い髪をうなじに一つにまとめ、翡翠の瞳はどこか眠たげに映った。

 「あの、ご利用を悩んでるお客さんでしょうか?」
 「えぇとそうじゃなくて……、利用を決めたのは連れなんだが、届ける物を買いに行ったみたいで」

 柳火は誤魔化しに苦笑してから、大通りの人波を遠い目で見つめる。当然だが、そこに連れの姿はなかった。
 しかし女性は嫌な顔一つせず、あららと笑い出してから柳火へ手招きする。扉の奥から吹き込む、ひんやりとした気持ちのいい風が頬を掠めた。先ほど、自分は利用しないことを明言してしまったのだ。それにも構わず誘う手に、柳火は怪訝そうに首を傾げる。

 「外は暑いし、待つなら中に入りなさい。あなたも興味はあるのでしょう?」

 朗らかに笑う女性から図星を突かれ、柳火は僅かに目を見開き、一瞬だけ言葉を失ってしまう。勘が良いのか、顔に出ていたのを読み取られたのか。だがそんな些細な疑問は、冷たく涼しい空気に容易く飲み込まれ、扉の裏側へと引き込まれていった。

 古ぼけた一軒の中は、決して広いとは言えない窮屈さであった。書類や小物がどこもかしこも散乱しており、例えお世辞でも綺麗と言い難い。唯一掃除が行き届いていたのは、入り口から真っ直ぐ奥に潜む、奇妙な装置とその周辺だけだった。靴が床に触れる度、ギチギチと鳴らす店内は、不思議と程よい冷気に包まれている。
 女性は分厚く薄汚いローブを羽織り、その下にも何枚も着込んでいた。だが彼女は涼しい顔して、ブーツでごつごつ床を踏み鳴らし、店の奥へと突き進む。やがて足を止めた場所は、鉄で何重も塗り固められたような謎の装置の前。
 茶色の革で作られたソファへ、女性は来客を誘った。柳火は遠慮がちにソファへ腰かけ、革の手触りを確かめる。数センチと体が柔らかく沈み込んで、心地よく作られた上品なソファだと分かった。その間店員はどこから持ってきたのか、羊皮紙の束をどさりと目の前のテーブルに置く。仄かにカビ臭さが鼻を突き、柳火は古い羊皮紙を無意識に覗き込んだ。

 「頭痛くなりそうな論文だな」
 「あら、一目で分かるの?」

 ここで初めて、店員の女性は声のトーンを変える。山積みされた羊皮紙のトップには『時空魔術の基礎』と飾られており、これまた難解な字の汚さであるが、辛うじて読み取ることが出来た。過去と未来の違い、時間を指定する方法、物体に対して使用する方法、他項目多数。太く強調され、箇条書きで要点をまとめている。
 まぁ少しは、と言葉を濁す若者へ、よほど本が好きなのねと微笑んだ。ぎっしり敷き詰められた文字に、皮肉込めた物言いをしたものの、青年の双眸は新たな玩具を発見したように輝かせている。

 「読むならお好きにどうぞ、お友達を待ってる間は退屈でしょう?」

 許可を得てから、紙を取るまでにそう時間はかからなかった。柳火は数枚の羊皮紙を取り、一枚一枚と丁寧に、上から順にレポートを読み進めていく。術式に関しての理解はまるで追いつかなかったが、それでも一文一文が脳への刺激に繋がる。

 かつて柳火は、近所にある教会の図書室へ忍び込み、本を読み漁っていたことがあった。その中でも一番夢中になっていたのが、『時の旅』と呼ばれる本だ。貧しい村で元気に過ごす少年が、ある日怪我をした老婆を助けた。怪我が治った老婆はお礼に、少年に時代ごとの様々な景色を見せてあげる。大まかな流れはアリガチだが、最後には荒れた地の墓地に連れて来られ、老婆が消え去った衝撃は忘れられない。残された少年は老婆の魔力を受け継ぎ、自力で元の世界へ戻っていったのでした。めでたしめでたし。
 本を読んでから奇妙な感覚が付きまとうものの、違和感はいつの間にか忘れていった。
 それらが再現されてる難解な術式が今、手元に書きまとめられているのだ。やがて人も、友人さえ連れて時間を渡ることが可能となるのか。柳火はレポートを無言で読み進めながら、改めて魔術の奥深さと可能性に舌を巻いた。



**********

 どれほどの時間が過ぎただろうか。
 ヴァ―ロスの夜を告げる鐘が鳴り響き、柳火はふと顔を上げる。未読の羊皮紙も残り少なくなってきた頃、ようやく店の外から人の気配を感じ取った。いつの間にかサラサラと新たな羊皮紙に、羽根を走らす店員も同時に顔を上げ、そして見合わせ微笑む。
 折角の心地よい静寂は、騒がしい足音と扉が開かれる音で容易くぶち破られてしまった。

 「りゅうかーっ!悪りぃ、遅くなっちまった!」

 古ぼけた木製の扉が勢いよく開き、姿現したのは予想通りの待ち人。百九十もある長身の肌は黒く、やや褪せた青の髪と瞳を持つ男、ジェラルドだった。慌ただしく入ってきているが、彼が持ってきたのは見覚えのある黒瓶たった一本だけ。柳火は読んでいた羊皮紙の束をテーブルに戻しながら、明らかに渋い表情を浮かべる。ボトルの栓には、クルリと可愛らしい青のリボンが巻かれていた。
 少なくとも一時間以上待ったはずだ、にも関わらず見覚えのある商品とは。睨む先の単純男は、誇らしげな笑みを浮かべている。

 「なんだよそれは」
 「ギルドで売られてんの見たことあんだろ?ビーマーセナリーって酒なんだけどよ」
 「知ってる、そうじゃない。なんで人を一時間以上待たせた上に、持ってきたのは馴染みある酒瓶なんだって聞いてるんだ」

 『B.Mercenary』は、柳火やジェラルドが所属する傭兵ギルド『黒の傭兵』で、唯一生産されている酒だった。その酒瓶は、液体の有無さえ判別し難いほど漆黒に塗り潰され、まるで外部からの光も飲み込んでるように見える。それに負けぬ黒いラベルには、赤茶の禍々しい文字で酒の名が書かれていた。そして白いインクで小さく、『誕生日おめでとう』の文字と綺麗な字が並んでいる。購入後に書き加えたのだろう。
 柳火は一度だけ、傭兵の先輩に勧められるがまま試飲したことがあった。葡萄酒特有の、絞り出し発酵させた果物の渋み、そして一瞬喉がピリッと来るアルコール。後に蜂蜜らしき仄かな甘みが広がる。出来上がりには程遠い半端物に感じた。販売開始されたのも今から三年前だ、無理もない。しかし、傭兵達の間では意外にも人気があり、仕事疲れの一杯にとりあえず注文するぐらいに強く根付いていた。
 そんな黒い瓶を手にジェラルドは、白い歯と夢抱く心を同時に見せて言い放つ。

 「柳火も十一年後、三十になりゃあ酒も飲んでるだろ。こいつも一級品に化けるかもしれねぇぞ?」
 「だから俺は」
 「お前が酒に強えぇこと俺は知ってっからな!」

 有り余る自信を崩すことなく断言され、柳火は圧倒されるあまりに言葉を失ってしまった。果たしていつ、そんなことを知る機会を与えてしまったのか。覚えている限りの記憶を探りかけたが、それより勝ったのが長年深い眠りについた後の、酒の魅力だった。
 そこで否定してしまうと、あまりに損だと結論に至る。

 「それを未来への贈り物にするの、良いアイディアじゃない」

 それまで二人の間で静観していた女性店員は、そこで初めて口を開く。にこやかに頷く女性にジェラルドも更に表情を明るくさせ、「だろー!?」と同意にやかましく歓喜した。彼なりのナイスアイディアと、提案に否定出来ない自身の酒豪っぷりに呆れた柳火は、静かに溜め息吐く。
 柳火自身、何も酒が嫌いで飲酒を避けている訳ではない。日々の訓練で力を付ける為、障害となり得るものは避ける。その中の一つに、飲酒が入っているだけだ。とある宴会に出席したジェラルドが、翌朝には酷い二日酔いに見舞われ、ヒルダから長い説教を受けていた日を思い出す。
 しかし十年先となれば、傭兵はとうに辞めた過去となるだろう。禁酒と言う枷も、その頃にはとっくに外れているはずだ。

 「じゃあ、あなたには書類の記入をお願いしても良いかしら?」

 女性は新たな紙を一枚、それと彼女が先ほどまで使っていたペンと合わせて、ジェラルドに差し出される。これから摩訶不思議な体験を目の当たりにするのだ。ジェラルドは目を輝かせながら契約書らしき羊皮紙を受け取り、早速目を通し始めた。柳火は腰かけていたソファから立ち上がり、一緒に紙を覗き込む。それに気付いた連れの男は、お互い見やすいように手を少し下げた。
 書かれていた項目は、手紙の配達とそう変わらなかった。住所、氏名、宛先。変わっていることと言われると、それに加え年月日、保障期間の注意書き辺りだろうか。ジェラルドはある程度の項目までスラスラとペンを走らせ、宛先の項目で手を止めた。おもむろに赤髪の青年へと視線が向けられる。

 「お前の誕生日、六月十七日だったよな」
 「よく覚えてるな、先月に祝ったら記憶に新しいか」
 「へへっ、じゃあその一週間ぐらい余裕持たせてっと」

 年月日の欄に十一年後の六月十日と記入すると、「それじゃあ俺は三十一になる」と横から指摘され、グリグリと黒丸で誤魔化してから十年後に書き直す。

 「なぁ、そん時にゃ柳火はどこいるんだ?」
 「んな先の未来なんざ分かる訳ないだろ……」

 当たり前のことだ、ただでさえ一日先の未来も予測出来ない。それが傭兵だったり、似たような便利屋扱いされる冒険者であるなら、なおさら未来予知など難しい話だ。極端に言えば、今日は平穏に暮らしている村であろうと、明日には燃やされ跡形もなくなるなど、よくあることだった。
 完全にペンを動かす手が止まり頭を抱えていると、店員はこちらへ視線を寄越す。

 「分からなければ、この店を指定すると良いわ。年数によっては保障しきれないけど、十年前後なら意地でも守り切るから保障する。届けた後は宛名と居場所を調べて、配達するように仕込んであるの」

 それを聞き、何となく理解した柳火は思わず感心した。先ほど読んでいたレポートの中には、到達地点の座標指定に関連した事柄が載っていたことを思い出す。届けた先がこの店の数年後、まだ現存しているのならばその先の手続きも行えるのだと。因みに書類の注意書きに、この店が出来る直前までの過去を指定した場合、物が届けられるか否か保障しかねない点も記されていた。
 やがてジェラルドは数点の同意にもチェックを入れ、店員の女性へ契約書を手渡した。記入漏れなどのチェックを入れているのか紙に指差し、そして最後のサインまで確認すると満足気に頷く。

 「贈り物は、そのボトル一本だけで良いのね?」
 「ああ!これ一本銀貨二百枚もしたんだ、丁重に頼むぜ」
 「なっ」

 喜々として答えたジェラルドの発言により、柳火は一瞬目を見開き、息が詰まりかけた。まだ稼ぎの少ない新米傭兵にとっては、銀貨百枚でさえ一度に叩き出せる価格ではない。人への贈り物でここまで財布をすり減らす、彼の勢いは時々心配になってしまう。こんなのがうん千spのプレミアモノになるんだと、腰に手を当てわっはっはっと陽気に笑う。
 しかし、この男は一つ大切なことを忘れているようだ。気分絶好調な同期へ、柳火はなかなか切り出せずにいた。そんな空気を汲んでかマイペースか、店員は遠慮なくきっぱりと切り出す。

 「ジェラルドくん、料金の話になるけど銀貨八百枚で良いかしら」
 「……へ?」

 非常に間抜けた同期の声が、店内の隅まで響く。しかし決して笑みを崩さない女性は、人差し指と親指で硬貨をチラつかせ要求する。案の定金欠へ落とされた連れを尻目に、柳火はひっそりと頭を抱えた。また次回の仕事で稼ぐまで、彼の貧相な生活を目の当たりにするのだ。呆然とする同期から視線を感じるが、金はもう貸さないぞと冷たく切り捨てる。
 人助けによって得た報酬は、全て己の思いつきにより削り取られたのだった。

小説

【長編】

  • B.Mercenary (未完)

  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】

  • in this hopeless world (完結)

  •  01 / 02 / 03

    【短編】

  • Just sleeping, probably

  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意

  • Nothing else matters
    ※ 流血注意

  • That's what they call me
  • 他ジャンル