裏路地商店 -葉月亭-

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B.Mercenary 02

 Day 135

 時刻は真昼。
 太陽は高熱の光を発しながら大地へ、人へと嫌でも恵みを刺していた。サラサラと木の葉を鳴らしながら、吹き抜ける風も心なしか生温い。夏の直射日光は堪えるもので、柳火は熱が篭る室内から抜け出していた。傭兵ギルドの裏庭に立ちそびえる大樹の下、聞いた話によると、この大樹は今でも成長を続けているらしい。高さ十メートルはあるだろうか。巨大な樹の下、心地の良い日陰へ誘われ釣られるように移動して、そこでようやく気付く。
 先客がいたのだ。背中にまで伸びる、黒く長い髪を一つに縛り、影に紛れるような黒く深い瞳。それらと正反対に肌は白く、仄かに涼し気な薄水色のローブを着こなしている少年が、贅沢にも日陰を独占していた。古く分厚い本の背を、折り曲げた膝頭で支えながら、すらすらと文字を目で追っている。柳火は、彼を知っていた。

 「シリル一人だけの貸し切りじゃないか、誘ってくれたって良かったろうに」

 再び風が吹き抜け、日を遮る影は揺れて踊る。予め気配を察していたのか、ゆったりとした動作で柳火の方へ顔を上げるが、特に言い返す言葉もないのか、すぐに本の世界へ戻ってしまった。柳火はシリルと呼ばれる少年の隣へ、座り際に暑くないのか一言聞けば、「別に」とぶっきら棒に返される。だがそれに対して何の感情を抱くこともなく、大きな木に寄っかかりくつろぎ始めた。
 シリルは柳火ともう一人、ジェラルドと同期であった。昨日のような真っ直ぐだけを見て突っ走る、どこぞの猪突猛進とは違い、彼は非常に広い視野を持っている。魔術に関する心得ているようで、柳火は彼に近づこうと試みている最中だった。だが、かれこれ季節一つ分の月日が経っているが、彼について知るものはまだ少ない。

 「寒いより、ずっと良い」

 シリルは文字の羅列から目を逸らしながら、ぽつりと呟いた。
 ヴァ―ロスから遥か北方面へ、馬車で片道ひと月走らせて辿り着く雪国ピブリノア。そこがシリルの出身地だ。馬車でそれほどかかるとは言ったものの、大体は激しい吹雪に見舞われ、時期が悪ければ辿り着くことさえ困難になる。だからピブリノアを通る馬車は、お得感漂わせる期間限定なのだ。
 彼は激しい吹雪に閉ざされた国の、貴族として生まれ育ったと言う。だが傭兵の間では、小さな町から稼ぎに来た家出少年として話が通っていた。本人曰く、親と大喧嘩し、立派な屋敷から白銀の世界へ飛び出してきたのだとか。
 何故出身地を明かさないのか、当時告白の場で耳を傾けていたジェラルドに問われると、シリルは溜め息混じりに首を振った。傭兵は金好きだが、貴族嫌いが大半だろうと。万が一知れ渡ってしまえば、金好きの傭兵が家出少年を引き渡すのも想像に難くない。しかし貴族と言う割には、潔白な衣装に泥が付着しようとお構いなしで、傍から見ればただ顔の整った平凡な少年にも見えた。
 謝る気持ちも戻るつもりも、今はまだないようだ。

 日陰で心地良くなった夏風が、二人の髪をふわりと揺らした。柳火は持参した本を開き、文字を目で追い始める。時々他愛ない一言二言を交わすが、大半の時間は各自で文字の世界へ入り浸っていた。
 訓練場方面からは、金属同士が激しく衝突する音が響いてくるものの、もはやそれも慣れてしまった。妙にやかましい同期は、今朝の遅刻で散々怒られていたのを見かけたっきり、以降の行方を知らない。恐らくどこかで、歯を食いしばりながら頑張っていることだろう、自業自得だ。

 「昨日」

 訓練場から度々響き渡る、武器同士の衝突音と重なってしまえば、掻き消されていたであろう。聞こえてきた短く静かな声に、柳火は読書から意識を切り離し、シリルへと視線を向けた。そこにはいつも眠たげに垂れた黒目がなく、代わりに珍しく好奇心を疼かせた瞳に出迎えられる。
 彼が暗い瞳に好奇心を宿すと、次に飛び出す言葉はおおよそ予想が出来た。興味の対象、辿り行き着く思考が、共に似ているのだから。それに、口がマシュマロのように軽い奴からも聞いたのだろう。

 「時空魔術、見たって本当?」
 「あいつは間違いならよく言うが、必要以上の嘘は言わないからな」

 少年らしく目を輝かせるシリルの問いに、柳火は苦笑しながら返答する。では実際どんな魔術だったのか、少年の口から続いたその質問に、目撃者の一人は静かに頭を抱えた。

 昨日の出来事を思い返してみても、大した感想は出て来ないのだ。術式により時間を押し込まれた物体は、今から未来へ移った。青白い光に包まれたかと思うと、秒針一歩二歩先へ送り出された瞬間、ワインボトルは跡形もなく消えたのだから。贈り物が今から未来へ移った、証拠もない。瞬間移動した、では語弊が生じるだろう。
 実際、もう一人の目撃者であるジェラルドもただぽっかりと口を開けただけで、次には首傾げながら微妙そうな顔をしていたのだ。店員を前に、馬鹿正直に溢した「実感ねぇなぁ」と寂しげな感想に、同感せざるを得なかった。突如極寒を迎えた財布を握り締める、ジェラルドの姿は哀愁さえ漂わせていたが、これも少しは救われた方だ。値切り交渉に、柳火は文字がワイルド過ぎる論文のいたる箇所を、持ち合わせている語彙を捻り出して最大限に褒めちぎったのだから。大男の財布は、同期の慈悲により銀貨二百枚が戻ってきた。

 当時の感想を言いあぐねていた柳火に、少年は大体の結果を察したのか、別の質問に切り替える。

 「術式は?」
 「金属の装置があるだけで何も……、多分装置の裏側に書かれてる」
 「レポートは」
 「字が汚過ぎて、術式になると更に難読で全く……、ってジェラルドの奴そこまで話したのか」
 「値切り交渉、凄かったらしい」

 嘘偽りない事実が知れ渡ってることに、柳火は大きく長い溜め息を吐いた。論文を褒められ気を良くしたのか、時空魔術を操る店員からは大変気に入られたようで、次回の来店でサービスすると手書きの券を渡されるわ、同期の大男からは感謝の気持ちに泣きつかれるわ。シリルがあの場に出くわしたら、彼は間違いなく他人の振りしてその場を後にしていただろう。
 明らかに柳火をからかっていた。シリルは表情の変化がやや乏しいが、付き合いがあると徐々に分かってくる。先ほどよりも、声が少し弾んでいるのだと。「勘弁してくれ」と、柳火はまた溜め息を吐いて、面白がってる同期を力なく睨んだ。
 結局、贈り物とやらは生き辛い世の未来へ託され、収穫は時空魔術を目と鼻の先で見た、そんな経験を積んだぐらいか。時間を扱う高度な術は、そうそうお目に掛かれるものでもない。貴重な体験ではあったが、実際目の当たりにすると案外呆気ないものだった。何よりも金銭面の喪失が大きい。近い内にまた一人、そして道連れを受ける柳火の二人で、仕事の仲介へ足を運ぶのだろう。

 気が遠くなるような近い未来から目を逸らすと、楽し気に微笑むシリルが視界に入る。もし彼がこの先の未来、故郷へ、ピブリノア戻らない可能性があるのならば、ここから更に遠くへ旅立つことを望むのならば……。
 最低で最高の提案が頭をよぎり、柳火は息を飲んで一人首を振った。トーンが変わらない、落ち着いた声で名前を呼ばれる。

 「……悪い、少しぼーっとして」
 「暑いなら、魔法使う?」

 シリルはそう首傾げながら、真っ青な手袋を懐から取り出した。その手袋は、彼が魔術を使用する際に身に着ける、例えるのなら魔術師の杖みたいなものだ。少年の言葉と仕草に一瞬目を見開き、柳火は慌てて「大丈夫だから」と制止した。体内に蓄える魔力の器も、保つ気力も、一人前と比べれば泥雲の差があるのだ。この場で魔力を使っては、例え基礎的な治療魔法であれ無駄遣いにも程がある。それを自覚しての素振りだったのか。彼の変わらない表情から読み取ることは、今の柳火には出来なかった。
 全力で抵抗する様子に、シリルはそう、と短く返事してから手袋を懐へ引っ込める。

 気付けば、大樹の下に覆っていた葉の影は大移動していたようで、鋭い西日が木の葉を抜けて差し込んでいる。汗が滲み、肌も焼けているのかじりじりと痛んだ。思い返せば、長いこと水を飲んでいない。
 柳火は一旦施設内へ戻ろうと立ち上がるが、突然ぐっと腕を強く掴まれ引き寄せられる。あまりの不意打ちに、柳火はバランスを崩して膝をついてしまった。腕を掴む手は雪のように白く、しかし込められた力は意外に強くて驚く。
 何よりも、冷たかった。

 「顔色、悪い」
 「本当に、大丈夫だか……っ!」

 念の為に釘刺す声は、氷のようにひやりとした感触により途絶えてしまった。
 心臓に悪いほど冷たい、シリルの手は柳火の頬に触れ、黒い瞳でじっと覗き込む。びくりと体が強張り、鼓動が激しくなる緊張からか息を吐くことも忘れ、瞳から視線が外せない。冷や汗が首筋に流れるが、時の流れも止まったようにも感じられた。全てを見透かし、飲み込まんばかりの黒点に、恐怖さえ覚える。
 術が掛けられている。脳が遅れて理解しても体は既に動かせず、息が詰まって悲鳴さえ上げられない。心が止めてくれと鋭く叫び訴えかけるが、声が出せない。言葉を紡がず無言で見つめられ続け、瞬きも忘れてしまった。血の気が引いていくのが分かる。次に柳火が恐れたのは、何をするつもりか読めないシリルの動向。鼓動が早鐘のように忙しなく鳴っている。
 呼吸もままならない中で、叫んだ、止めてくれと。しかしやっと喉から絞り出せても、掠れ濁った声ではまるで届きやしない。
 心なしか体温が急速に奪われている気がする。このまま全身が氷漬けにされてしまうのではないか、そんな錯覚が芽生えてきた、その時だった。
 不意に生温い風が吹き抜ける、同時に感じた気配に目を見開く。

 「柳火!」

 術を掛けられ、動けず藻掻く者の名前を呼んだのは大男、ジェラルドの声だ。近くへ接近されると即座に襟首を掴まれ、強引に後方へと投げ飛ばされる。勢い余って体を地面に引きずっていたが、何とか自力で身を起こす。触れる手から流し込まれていた魔力は無理矢理引き離された。それによって魔術が解かれ、体は一気に熱を帯び始める。

 「かっ……はっ!はぁ、うっ……ゲホッ!」
 「大丈夫か!おい、しっかりしろ!」

 身も凍るような緊張感から解放され、ともかく新鮮な酸素を欲し、肺に取り込んだ際に咽てしまう。離れて初めて気付く、びりびり痺れる頬に柳火は眉をひそめた。歪む視界の奥で、シリルの姿が確かにある。何故、純粋な疑問を投げかけたが、強烈な眩暈と吐き気を覚え、口元を両手で覆った。急激な体温上昇に、負担がかかっている。理解した直後には、吐き気も何とか飲み込めた。
 ジェラルドに肩を支えられ、不思議と頼もしく思える。そのまま気力を捻り出し、同期の支えを借りてふらふら立ち上がった。霞む視界に立つ少年は、相変わらずの無表情で、しかし戸惑っている色を読み取る。
 それから少し遅れて、ジェラルドの太い腕が震えてることに気付いた。こうなれば嫌でも予想がつく、酷く激昂しているのだと。想定と大きく外れた異常事態に、混乱も免れないだろう。しかしジェラルドの場合、考えるよりまず体が動く。非常に不味い、と柳火は思った。

 「シリル、てめぇ柳火に何してやがった!?」

 自分の手の平を茫然と眺める少年へ、大男は眉間に深い皺を刻んで叫ぶ。いつの間にか静まり返っている、訓練場にまで怒声が聞こえそうな勢いだ。ジェラルドが背負っている大剣に手をかけるのが見えて、柳火は慌てて止めに入る。見知った者同士で刃を交え、傷つけ合うようなやり取りは、訓練ならまだしも、誤解に挟まれた殺し合いは絶対に避けたい。

 「ジェラルド落ち着け!シリルには悪意なかったから!」
 「友人を殺しかけた奴だってのに、黙って見過ごせっつぅのか!?」
 「……頼むから、止めてくれ!」

 もはや懇願に近しかった。
 頭に血が昇ってるジェラルドを必死に止めている間も、背後にいる黒髪の少年が動く気配はない。その代わりぽつりと、シリルが言い放った言葉は悲しそうに響いた。ジェラルドはその声に、冷水を頭から被ったように落ち着きを取り戻し、ぴたりと動きを止める。その理由は、柳火には分からなかった。
 体に鞭打っていたが再び、脳を殴られたような強い眩暈に襲われ、燃えるように熱い体が支えきれなくなり膝をつく。操り人形の糸がプツリと切れたように、突如意識が途切れ、体はその場で崩れ落ちた。



**********

 傭兵ギルド『黒の傭兵』の訓練場、その近くには医療室をいくつか構えている。
 訓練にて怪我した者を、一刻も早く治すことを目的としているが、離れた場所にも何点か医療施設が隠されているらしい。後者の情報は、酔っ払った先輩の戯言であるので、真相は不明なのだが。訓練場近くの医療室に傭兵訓練生が一人、意識を失った状態で運ばれてきた。幸い早めの応急処置が行われたお陰で、安静にしていればすぐ完治するほどに抑えられたようだ。
 話を聞き、医療室に駆けつけてきた人物が一人。木製の扉を割らんばかりに勢いよく開け、その者の名前を呼ぶ。

 「柳火!」
 「先生、医療室では静かにお願いします」
 「あ、すまない……」

 予め準備されたように医者からぴしゃりと叱られ、唐突な乱入者は大変申し訳なさそうに謝った。軽鎧を身に着けた長身、薄い金色の髪を丸く一つにまとめ、燃えるような赤い瞳を持つ女性。『黒の傭兵』の指揮官であるヒルダは、運ばれてきた患者を探しにきょろきょろと周囲を見渡す。すると意外とあっさり探し人は見つかった。
 所々に土で汚れた赤い髪に、空と海色の複雑な双眸を持つ、やや顔色が優れない患者は、どこか怠そうな調子で談笑に加わっている。そして当然のような先客、仲の良い同期であり友人でもある、ジェラルドとシリルも医療室に訪れていた。一瞬ヒルダは渋い表情を浮かべたが、それはすぐに消え去る。

 新たな来客の顔を見て、柳火は表情を凍り付かせた。本来は何事もなければ読書で過ごし、時計の短針が東を指す直前に訓練場にて、ヒルダから指導受けるつもりだったのだ。意識が戻ったのもつい数十分前で、その頃にはすっかり日も暮れており、訓練の予定を思い出した際には、いっそここから逃げ出したくもなった。
 つまり、無断欠席の罰を恐れていたのだが。

 「良かった、無事だったんだな」

 かつては名を聞くだけで戦慄させていた鬼指揮官からの一言に、柳火は目を丸くせざるを得なかった。患者だけではない。ジェラルドも、表情が乏しいはずのシリルでさえ明らかに驚いている。指揮官の予想斜め上突き抜けた一面に、一瞬の沈黙が流れた。
 しかしこの反応も慣れているのか、ヒルダは小声で「失敬な」と溜め息混じりに呟いてから、ブーツの靴底を鳴らし近寄る。道を開けるように、もしくはヒルダから避けているのか、同期の二人は左右それぞれに一歩二歩、座る椅子と共に身を引いた。

 「明日一枚の書類を持ってくる、それで無断欠席の罰を免除しよう。それと復帰の目処は、予め医者から聞いておくようにな」
 「あの、ヒルダ先生……」

 ヒルダからは、用件を迷うことなく簡潔に伝えられる。伝達を受けた者が頷き了承すると、彼女は踵を返そうとした。……が、シリルは我慢ならず椅子から立ち上がり、ハッキリした声で引き留める。
 体の芯まで冷やす氷魔法を人間相手に、それも同期であり仲間へ使用してしまった。少し冷静に考えれば危険極まりないことが明白で、未熟だった少年は酷く後悔する。柳火が意識を取り戻した直後、シリルは何度だって謝っていた。その時と同じように、深い反省の色を示しながら頭を下げるが、彼女も怒らなかった。ヒルダは少年を見下ろしてから、ちらりと柳火へ視線を投げる。

 「貴様、柳火には謝ったのか?」
 「見てて痛々しいほどに」
 「ふっ、そうか。今の貴様も相当見てられないものだがな」
 「無様な姿で悪かったな」

 馬鹿にされるとは予測していたものの、いざ目の前で指摘されると僅かに腹が立つ。柳火は微かに青筋浮かべながら、隠さず大きく舌打ちした。にやり、と余裕そうな笑みを浮かべたヒルダはやがて息を吐く。下げられた少年の頭に大きな手を置き、ぐしゃぐしゃと撫で回して微笑みかけた。

 「貴様は、無理する友人が心配だったのだろう」
 「…………」
 「だが今後は、治癒以外の魔術を、決して仲間に向けて使わないように。約束だぞ?」
 「……はい」

 そして、今度こそ用を済ませたかのように背を向け、医療室から出て行った。パタンと扉が閉まり、外からの気配が去るまで室内は静まり返る。やがて鬼の指揮官が完全にその場から離れた頃、黒髪の少年はようやく頭を上げた。長い長い息を吐きながら、すとんと木製の椅子へ腰を下ろす。威圧感から解き放たれ、力が抜けたようだ。
 安物の古びたベッドをギシギシ鳴らしながら、柳火はゆっくりと体を倒し、息を深く吐き出す。突然のアクシデントに、密かに組み立てていた予定も、延長線上に引きずり込まれてしまった。だが思考を巡らせるのも億劫になっているのは、単純に寝起きから抜けない気怠さのせいだろう。
 仰向けに寝転んだ際、頭上で鳴らしている時計の針が視界に入り、思わず「あ」と小さく短い声を漏らした。時刻は、既に午後十時を通り越している。患者はともかく、明日も訓練がある二人はぼちぼち就寝に入らないと不味い時間帯だ。

 「今日はもう、寝た方が良い」

 静寂に支配された医療室では、声が小さくともよく通った。忠告されるまで、友人の二人も時間を忘れていたようで、ハッと釣られて時計を見て息を飲む。傭兵や訓練生には各部屋が与えられており、幸い、ここからはそんな離れていない。
 忠告を聞くなり、「うげぇ」と声を上げたのはジェラルドである。先ほどまでの大人しさは何処へやら、唐突に動き出し部屋へ逃げ込む準備を始めるが、柳火はそんなジェラルドの腕を強く掴むんだ。一方、シリルは一瞬だけチンケなベッドを視界に入れたが、やがてそっと部屋に戻る準備をして、扉の方へと歩み出した。扉の一歩前で立ち止まり、水色のローブを揺らしながら患者へと振り替える。
 ジェラルドの帰宅準備を阻止する、その腕だけは何が何でも離さないと、お互い躍起になっていた最中。少年からは、見て見ぬ振りをされたようだ。

 「柳火、本当にごめんなさい」
 「俺のことは気にしなくていい。おやすみ、シリル」
 「……おやすみなさい」

 ぺこりとお辞儀した後、シリルは扉の奥へと消えていった。去り際に見えた彼の、漆黒の瞳がどこか物悲しく映ったのは、恐らく気のせいなのだろう。隙を見たつもりか、その間も手を振り解こうと腕は暴れていたが、柳火は頑なに手放さなかった。
 やがてジェラルドは根を上げ、ようやく先ほどのように大人しくしたところで、柳火は腕を手放した。ジェラルドの太い腕には、くっきりと赤い手形らしきものが付いている。

 「さて、話してもらうぞ」
 「な、何を話せって――」
 「とぼけるなよ。シリルの動向、明らかにあんたは分かっていただろ」

 柳火は低く、はっきりと通る声で、この場に残された同期へと言い放った。



**********

 柳火が医療室に運ばれていったのは、今回で二回目だった。
 傭兵ギルドで日々を過ごしていると、稀に思わぬ事態に遭遇する。依頼に出向いた者が帰らぬ者となるのは、何も珍しいことではない。この『黒の傭兵』設立者でも国に駆り出されては、想定外の襲撃に戦死したようだ。しかし生死を掛けた仕事中ならまだしも、一般開放しているエリアに暴徒が侵入したのだ。およそ、三月前だっただろうか。その頃は、訓練生になってから一月少々とまだ未熟な頃であった。

 夕日が沈み夜を迎えた時刻。この時間帯は仕事を終えた傭兵から一般人まで、酒と飯を目当てに集い賑わい始める。当時ジェラルドは先輩との酒飲みに付き合わされ、あることないこと自慢話を聞き流していた。一方、柳火は遅めの夕食を取ろうとしたのだが、不幸にもその同期に捕まり、道連れに巻き込まれながら肉を食らう。唯一幸いだったのが、その夕食は先輩が奢ってくれたぐらいか。そんな贅沢なタダ肉を、八割平らげた時だった。
 出入り口付近にて、突如鋭い悲鳴と野太い怒声が響き渡り、ドタドタと喧しく床が人々の重みで揺れる。視線は一斉に声がした方角へ、雑談もぴたりと止み、相手の声がよく伝わるようになった。寸秒後、次に聞こえたのは苦痛に叫ぶ断末魔だ。後に知ったことだが、ヴァ―ロスではたまに賊が出没し、その矛先は何故かギルドに向けられるらしい。
 怪我人が発生すれば、頭に血を昇らせた輩がドカンと席を立ち上がり始め、暴徒と睨み合い隙を探り合う。中には臆病者がこそこそと逃げる者もいる。そんな中で、柳火は偶然、見つけてしまったのだ。威嚇する暴徒を睨みつける、今にも足を踏み込みそうな男の子の姿が。不味いと思った時には、既に席を立ち上がり駆け出していた。
 しかし、立ち上がったのは所詮少し体を鍛えただけの青年だ。先輩と同期の声が届くものの、もう遅い。暴徒と子供の間に割り込み、赤い液が視界に映り、じりじりと腕に熱が走り、激痛が襲う。今まで経験したことのない痛みに、飛びそうな意識を保ちながら必死に耐えている間、まだ二桁も満たない子供は、目に涙を限界まで溜めて見つめていた。

 「お前の大丈夫は、全然信用なんねぇんだよ」

 その傷を引き金に、酒場に残っていた傭兵総出で動き、暴徒は取り押さえられたようだ。脂汗を額にべっとりと浮かべ、腕の傷口を抑える手は赤く染め、それでも柳火は「大丈夫だ」と子供へ無理に笑っていた。何度でも、子供の涙が消えるまで、安心させようと。後に医療室へ連行となり、手早い処置のお陰で事なきを得たのだった。
 当時を目撃していたジェラルドは、それから柳火をよく見るようになったと言う。我慢強いのか、プライドが高いのか、子供が好きなのか、正直に言えないのか。彼なりの観察眼から導き出された結論は、いつしかシリルにだけ伝えてしまったようだ。柳火とは同期であるものの、最年少であるシリルを特別に可愛がってるのも、ジェラルドは知っていた。

 『大丈夫って、言ったから』

 倒れる直前に聞いた、シリルの震えた声が脳裏に響く。心配させまいと、強がる癖が無意識に出てしまった自分自身にも責任はあるのだろう。ジェラルドのお節介焼きにふつふつ怒りが湧いていたが、時計の針が進むごとに冷静さを取り戻し、やがて憤怒の残りカスは溜め息へ変わった。余計なことを吹き込んでくれたのには確かに腹立たしいが、彼に助けられたのも事実だ。
 今後から気を付ければ良い、決意を固めかけたタイミングで、ジェラルドはふと真面目な表情に変わる。この大男は頭が悪いものの、張り巡らせる直感は人一倍鋭く、決して侮れない一面があった。

 「痛いんなら根ぇ上げろよ」
 「実際大したことはなかったんだ、根を上げるほどでもないだろ」
 「柳火、お前それで二度医療室に世話んなってんだからな」

 不意に正論を突きつけられ、柳火は思わず喉に言葉を詰まらせる。代わりに舌打ち一つ、ぐぅの音も出ないとはまさにこのことか。
 なお反抗的な態度を示す同期の様子に、ジェラルドは大袈裟に溜め息を吐いた。バンダナで巻き上げた髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、「あー」と間抜けた声を流し視線を泳がせる。考え事とらしくないことをする時の、彼の分かりやすい癖だった。

 「なんつぅーか、その、なんだ。シリルにも俺にも、ちったぁ頼ってくれて良いんだからな」
 「まるで格好つかないな」
 「俺はお前ほどカッコつかねぇ奴だからな」
 「はっ、なんだそれ?」

 大真面目な顔した大男の返しに、赤髪の青年は吹き出して笑う。まるでいつも俺が格好つけてるようじゃないかと文句つけるが、その様を眺めていたジェラルドはどこか満足気に笑っていた。

 思考に引っかかっていた疑いもすんなりと解け、ひと段落した拍子に柳火はふと天井を仰ぐ。正確には時間を気にしたのだが、時刻は非常に不味い方角にまで曲がっていることは理解した。何より、ジェラルドが顔面蒼白させながら「ゲェッ」と反応したのだから。今度こそ自由な身で、わたわたと忙しなく周囲を見渡し、忘れ物がないことを確認する。
 いつの間にか出入口付近で仕事していたはずの医者の姿はなく、狙ってるかのようにドタドタとジェラルドは扉にまで飛びついた。ノブに手を掛けたかと思ったが、急にぴたりと静寂をまとって後ろを振り返る。
 ……気のせいだろうか、一瞬、息が止まりかけたのは。微かに、息苦しさを感じたのは。

 「柳火、またな」
 「……あぁ、おやすみ」

 今日と別れる最後の挨拶を交わして、パタンと扉が閉まり人が見えなくなった。すっかり大人しくなった室内で、柳火は再びベッドを軋ませながら横になる。待ってましたと言わんばかりに、重く圧し掛かる睡魔に身を任せ、瞼をゆっくり閉じた。

 気のせいだったのだろう。あの大男が、寂しげに笑ってるように映ったのは。

小説

【長編】

  • B.Mercenary (未完)

  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】

  • in this hopeless world (完結)

  •  01 / 02 / 03

    【短編】

  • Just sleeping, probably

  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意

  • Nothing else matters
    ※ 流血注意

  • That's what they call me
  • 他ジャンル