裏路地商店 -葉月亭-

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B.Mercenary 03

 Day 8

 声が聞こえた。女性の声と、赤子の声だ。
 開いた窓から白い光が降り注ぎ、夕日色に張り巡らせた壁紙を背に、一人の若い女性が穏やかに微笑む。色鮮やかに染まる赤く長い髪が、外から吹き込む風によってふわりと揺れる。薄く化粧しただけの白い肌と、整った顔立ちに、美しい女性だとぼんやり思った。白い腕で包み込むように、柔らかく小さな子を抱いている。外の晴天空を恋しそうに見上げ、やがて視線を室内へと戻した。
 女性の視界には、一人の男性が映っている。のんびりとロッキングチェアに腰掛け、膝の上に広げた分厚い本を見下ろし、……正確には文字目で追いながら茶を飲んでいた。時々小麦色の短い髪を弄りながら、空色の瞳を微かに細めている。
 幸せそうな家庭、この世界ではよく見かける幸せのようで、稀に見る空間であった。絵に描いたような空想だが、いざ目の当たりにすると、呼吸も忘れて惹かれ魅入ってしまう。幻術にでもかけられたかのような、素敵な光景だった。
 平和過ぎる時間に、退屈とさえ感じ始める。その時だ。

 「ねぇ、見て」

 何かに気付いた女性が、男性が座る椅子へとゆっくりと近寄っていく。嬉しそうな声は幸せに溢れ、同時に胸が締め付けられるようだった。どうしたんだい、微笑む男性へゆっくりと赤子を手渡す。慎重に、大切に、命が芽吹いたばかりの宝石箱を、夫婦揃って覗き込んだ。新たな発見に喜ぶ女性の声に、やがて男性にも笑顔が宿る。
 赤子の瞳を指差し、声が弾んでいた。双眸、異なる色を持つ子である。宝石のような輝きで魅せる瞳は、一見同じ青色だと思わせていた。「決めた」と、ハッキリした声で、女性は小さな命を改めて抱え直す。
 不思議そうに、恐らく大好きな母の顔を目で追って、口を開ける。あーぁ、と言葉にならない声を上げながら、心なしか喜びを表現してるようだ。その瞳は青、しかしよく覗き込むと確かに、鮮やかな空と、深い海が映し出されていた。

 「この子の名前は――」



**********

 「……はっ」

 忘れるはずもない名前を聞くことなく、幻想を払い除け意識を急浮上させ――否、あれは幻なんかではない。文字通り柳火は飛び起き、空気を肺に詰め込んでは咳き込んだ。額から汗が滲み、気付けば背中もぐっしょりと濡れている。目の端が湿っており、うなされ、泣いていたことに気付く。震える右手で顔を覆い、溜め息を吐いた。

 柳火は、夢で見た夫婦を知っている。三年前に、行方不明となった両親だ。赤子だった頃など、誰もが記憶がまるで朧気だと言うのに、名付けの日だけはやけに鮮明に、今でもハッキリと覚えている。生まれて一月経ったか経たずか、夏の幕開けに交わされた何気ない日常会話。そんな中で、青の双眸に魅せられた女性は、隠した名を付けたのだった。深い海で眠り、広い空を駆け抜ける、強く賢くあって欲しい願いを紡いで。
 再び、呻き声を漏らす。
 行方不明から三年も経てば、もはや誰もが生存を諦め、哀れみの目を向けられるものだ。両親共に一般人であれば、生還は絶望的だろう。何かしらの事件に巻き込まれ死んだ、よくある話だ。恨みを買われ暗殺された、家庭が裕福ならば、あり得る話だ。しかし質の悪いことに、二人は名前を轟かせていた冒険者だったのだ。受け入れることが出来ない。家を飛び出し、こうして傭兵として力を付けようとしている今でも、生きていて欲しい願いは変わらない。ギリギリと胸が締め付けられる感覚に、小さく舌打ちした。
 嗚咽を抑え、声を殺し、目を瞑る。
 一度だけ故郷に、死霊の大群が押し寄せたことがあった。飢えた死肉の群れ、汚染された魂、生前の知識に長けた死霊。その日は夕暮れ時、両親からは出かけるの一言で姿を消し、不安で眠れず待っていた朝方近くに、ただいまの静かな一言で帰ってきた。何事もなく、ただ少しだけ疲れた様に笑って、その日は家族全員揃って眠りについた。
 だから、諦めきれないのだ。

 まだ綺麗で狭い寮室の中、真っ新な小さいテーブルの上にぽつり、堂々と懐中時計が置かれている。開きっぱなしのそれに視線を投げやると、起きる予定の約一時間前に針を指していた。どうしたものかと、寝起きで回らない思考を巡らせる。夢とは正反対に、こちらの外は生憎の雨模様。窓の奥を見なくとも、外側を元気に叩きつける雨音で分かる。
 時刻は五時だ。目覚めは最悪だったものの、昨日は部屋に入るなり就寝してしまったせいか、案外寝不足による眠気はなかった。先日に見つけた、いつもとは違うパン屋にでも足を運んでみようか。柳火はそう考えたが、時間を改めて確認して、買いに訪れるにはまだ少し早いと思って止めた。ならばカフェで紅茶を楽しみながら、ゆっくりと時間を潰そうか。だが、外出する支度を整え終えてから、洒落たカフェでのんびり出来るほどの金銭を持ち合わせてないことに気付く。
 どうやらまだ、本調子ではないらしい。

 「……先人から、話でも聞いてくるか」

 柳火はぽつりと一人呟いてから、行く先を見失った足で酒場へ向かっていった。何せこの『黒の傭兵』に所属してから、まだ一週間しか経っていない。新人よりもずっと先に立つ、暇そうなベテランを捕まえて話を聞くのも、決して無駄ではだろう。
 故郷から目が届かないように、なるべく遠く遠くへと、長いこと馬車に揺らされていたのが一週間前までの出来事。金貨と銀貨を詰めた麻袋が、腹空かせたように萎れてくる数日前に、この『黒の傭兵』の噂が耳に入った。
 何でも、その傭兵団は入団から一定期間の訓練をさせ、それから国へと派遣する仕組みを作ったのだとか。生きる為の術を、戦う為の知識を、お金と共に得られるのだ。こんな好条件は他にないと踏んだ柳火は、目的地をヴァーロスへと切り替える。結果としては、諸々を支払い入団の手続きを終わらせ、無事寮へと行き着いた頃には、銀貨を入れる麻袋もすっかりしょぼくれていた。先日実践がてらにこなした依頼の分は、新たな服やら短剣やら、と備品を揃えていたらあっと言う間に使い果たしてしまう。

 先輩から知識を得て、見張りの仕事でも見つかれば万々歳か。柳火は寮を抜け廊下を渡り、ようやく覚えた施設の地図を頭に浮かべながら歩いた。その間に、何をどう聞くのが利口か、知っている情報を上手く引き出せるか、そんなことを冷静に考える。
 まだこの世の中、知らないことが満ち溢れているが、柳火が今欲しているのは生き残り、戦う術だ。いくら報酬が高くとも、医療費と命を吹き飛ばしてはお話にならない。だから出来る限り、今見つけた先輩から知識を得て、今後自分に降り注ぐ火の粉を払う、多くの手段を増やしておきたかった。
 一旦庭へと出て、目と鼻の先に立派な巨木が視界に飛び込んで来る。少し離れている寮の窓からでも、巨大な木の頭が見えたことをぼんやりと思い出した。だが迫力に湧き上がった感心も束の間、吹きつける風の冷たさと、叩きつける雨水に顔をしかめそそくさと、とにかく室内を目指す。暖かくなるにはまだ少し遠い、命が眠る冬の最中なのだ。

 「外套も買い替えないとな……」

 乾いた泥と煤がこびりつき、いくらか破けている茶色い外套を片手で握り締め、無理矢理紡ぎ直しながらぼやいた。自宅にあった古いタンスを漁っている時に見つけ、誰の物だったのかも分からないまま勝手に拝借した代物だ。防寒具としての機能はイマイチで、何より勝手に持ってきた罪悪感が重く圧し掛かる。そう思った矢先に、金欠の高い壁を見上げ、小さく苦笑する。新生活を迎える為の品物揃えは、まだ時間がかかりそうだ。
 庭を通り過ぎ、裏口らしきぽっかり空いた出入口へ潜り込み、吹き込む隙間風に体を震わせる。寒い、呟くと同時にこぼれる吐息は白い、長い川を作った。

 そして柳火はようやく、傭兵ギルドで比較的大規模な扉の前に辿り着く。酒場には一応営業時間が定められているようで、時間外である今はみっちりと閉められていた。多少の飲んだくれに絡まれることを覚悟し、その扉をゆっくりと前へと押し開けていった。

 「……ん?」

 明かりは点いている、けれど人の気配がまるでない。目当てとしていた先人はおろか、酔い潰れもなく酒の面影すらなく、期待外れの事態に柳火は一瞬戸惑った。受付は当然ガラ空きで、酒場のカウンター席も留守になっている。頭を捻って、あらゆる可能性を納得の材料に持っていくとしても、室内が明るい理由に結びつかなかった。
 しかし酒場の様子がどうであれ、貼り出された依頼書は我が身を晒したままだ。第二の目的である、仕事内容を覗いてから寮に戻ろうと、奥へと足を踏み入れた。その時だ。

 突如、背筋が凍り付くような感覚が襲う。背後、酒場のカウンター裏だ。殺気と共に、凄まじい速度で距離を詰めてくる。それを一瞬を黙視した柳火は、素早く腰から剣を引き抜いた。
 ――ギィィンッ!
 火花が散る。重く激しい金属音で静寂が容易く裂かれ、緊張感が全身に駆け巡った。
 刹那の静止。自身を襲ったのは同じ両刃剣、しかしその丈は一メートル以上の大剣に部類している。不意打ちによる接近の許しもあるが、それを抜いてもあまりに一撃が速く、重かった。息が詰まる。咄嗟に防御体勢を取ってしまったが、それは判断ミスだとすぐさま気が付いた。ガチガチと押し込んでくる力が、そのまま得物ごと抉りかねない強さなのだ。恐らく大剣を振り下ろす力は、ほぼ体重を乗せるような全力。ならば――
 柳火は不意に剣を大きく傾け、分厚い刃をするりと滑らせた。逸れた軌道は青年の読み通りに、既に身を引いた空を切り、相手の体がぐらりとバランスを崩す。褐色の大男だ、身長は下手すると二メートル近くあるだろうか。道理で力が強い訳だと、妙に納得してしまう。巨体の首へ、剣の切っ先を突きつけようと動こうと、一歩前へ出ようとして。
 踏み込むことは叶わなかった。

 「――なっ!?」

 冷たくザラザラとした、泥が絡みつくような感覚が足首を襲い、思わず声を上げてしまう。泥沼に嵌まったような、足がまるで動かせず、ぞわりと悪寒が走った。崩れかけた巨体はダンッと踏み込み、大剣を支える両手に繋ぐ、腕の筋肉がぐっと盛り上がるのを視界で捉える。不味い、そう危機を察したが、動きがあまりに制限され過ぎた。
 耐える術はない。力がある分、圧倒的に相手が有利だ。逃げる術はない。泥の枷によって、両足は既に動かせない。無防備を晒し続ければ寸秒後には、体も真っ二つにされてしまう。何故襲われているか、理由を聞く機会も与えられずに。鼓動が暴れ、血が全身を巡る。考える、何が出来るか、頭に言い聞かせた、問うた、考えろ。防ぎきれない、ならば先手を取れ。逃げられない、ならば立ち向かえ。
 直後、柳火は咄嗟に掌を広げ、それを大男の鼻先へと向ける。刹那、魔力が急速に集い、仄かに青緑の光が浮かび始めた。

 「ぬおっ!?」

 パァン!と割れた音と共に、大男は驚愕したまま数メートル後ろへと吹き飛ばされる。術者自身もその衝撃を食らい、体中に激痛が走り呻き声を殺す。足首を掴む泥が衝撃波を浴びると、ジワリと溶けて無くなった。やはり魔力が効いたかと、影で不敵に笑う。
 魔力の黙視が出来てから、一秒も満たない。掻き集められたエネルギーは、瞬く間に辺りへ鋭く弾けた。未熟の魔術師が、練習中によく引き起こす失敗、つまり魔力の暴発と同様だ。未完成の術のまま魔力だけ出力する。その後に起こり得るのは、敵味方共に吹き飛ばす先ほどの衝撃波だった。
 怯ませる目的で放った魔力だ。距離を取り、枷は外れた。自由を得た足で床を蹴り、突き飛ばした男へと再び距離を詰める。どうやら大男は、瞬時に得物で顔を庇ったようだ。あれほどの術を受けながらも、両足で全身を支える、尖った忍耐力は褒めるべき点だろう。しかし逆に、動きが鈍ってしまうのは頂けない。
 その間は二秒。長剣を両手で強く握り直し真横から、切っ先を大男の首筋へ向けた。今大男が持つ大剣の、切っ先との距離、角度からでは、決して振り払えない位置を取り、確実に降参へ持ち込む。先ほど魔法生物に足を掴ませ、逃走を許さなかった、あの時のように。

 「動くな」

 柳火はトーンを下げ、だがハッキリと忠告を短く吐き出す。たった一言で、ピシリッと凍てつくような緊張感が走った。大柄な得物を前に構える、青髪の男は忠告に従う。声も発することなく、冷や汗が額から一筋、肌に流れた。
 十数秒、両者に動きはなく、心臓だけが煩く鳴り続ける。やがて、それまで一ミリも動かなかった大剣が、床へ引き寄せられるようにゆっくりと刀身が倒れ、がらんと喧しく響いた。そして大男は堪えるように震え出し、突如弾けたように笑い出す。異変を感じ取るものの、柳火は長剣に込める力は緩めず眉だけひそめた。

 「ガッハハハ!俺の負けだ負けだ!悪りぃな、奇襲かけちまってよ」
 「…………」

 得物も床に伏せており、他に武器を持ち出すこともなく、大男は両手を上げてコーサンだと笑う。先ほどまでに向けられた殺意もなく、柳火は一瞬だけ疑いをかけたが、確信を得ると切っ先を引っ込めた。ブルーグレイの瞳が、人懐っこく輝かせていたからだ。そう怖い顔すんなよ、と言われるまで気づかなかった。眉間にシワを寄せていたようで、それを紐解くと適度の疲労感がついてくる。
 貼り出された依頼書を下見しに、ついでに先輩からの話を聞こうと訪れたはずが、どうしてこうなってしまったのか。とんだ苦労にも気付かされた柳火は、静かに溜め息を吐いたのだった。



**********

 時刻が七時を回ると、ガヤガヤといつもの賑わいを見せる酒場があった。壁に掲げられたボードに貼り出された紙を、次々と剥がしては手続きへと取り掛かる傭兵達の姿が映る。ある人は護衛の為に待つ依頼人の元へ、ある人は戦争する国の元へ、ある人は警護の穴埋めに向かって、出入り口の奥へと消えた。
 新米にも出来そうな仕事を探しに来た柳火であったが、結局収穫はなく、代わりに人の金で朝食を摂ることにしたのだ。貧弱な麻袋の中身を見せた時の、哀れんだ表情が脳裏にチラつき、食事を通す喉に若干の痛みを感じた。

 大男は、ジェラルド・クレイトンと名乗った。
 話を聞く限り、彼は柳火と同期にあたる。これまでに何度か同期との手合わせをしており、その度にジェラルドが圧勝。しかし、勝者は手応えのなさに退屈していたらしい。そしてここ最近、冴え渡る剣技に注目されている新人がいると噂を聞きつけ、その新人が柳火だったのだ。
 大男は非常に満足気に、ぶつけられた疑問に全て、片っ端から答えてくれた。初めは依頼の先取りを目論んでいたものの、目ぼしい仕事が見つからず肩を落としていた時に、廊下からの物音に気付く。反射的にカウンター裏へ隠れ、侵入者が同業者ならばそのまま裏から出ようと、万が一泥棒が入ってきても奇襲をかけられる。そう考え侵入者を確認した矢先に、柳火の容姿を一目にスパークしたのだ。聞いていた噂、特徴が合致していると。
 好機だ、湧き上がる興奮を抑えて、そしてジェラルドは考えた。奇襲をかければ、相手は本気で抵抗するだろう。湧き出ていた殺気も、刺激すれば返ってくると思ったこと。ただし、反撃に殺される可能性は考えていなかったようだ。

 「んだよ、相当腹減ってたんだな、お前」
 「……数日、安いパンと水で凌いでたからな」

 先日の護衛で稼いだ金は、報酬の半分以上を叩いて購入した短剣によって消えた。それからずっとだ、味気ない硬いパンを貪り、水気を無理矢理含ませて腹を満たして。空腹を満たせど、所詮はパンと水。いい加減飽きてきた中で、ジェラルドから差し出された「奢り」の手を、掴まざるを得なかった。ジェラルドは決して裕福ではなかったが、手合わせを通し、満たされた気持ちに感謝を込めた好意だった。
 雑に彩られた大盛りのサラダを平らげ、香ばしい匂いが食欲を刺激した揚げじゃがは、塩を振ってから口いっぱいに頬張る。こんがりと綺麗な焼き色を見せていた、ぎっしり詰まった大きなミートパイも完食済みで、今は大盛りサラダをおかわり注文し、出来上がりを待っていた。しかしこれだけ食べても、脳内での計算ではまだ銀貨三十枚もかかっていない。
 やや細身に見える青年であったが、食事を前にすればたちまち皿が空になっていく。その様を向かい席でずっと眺めていた大男は、事あるごとに呆れてぼやいていた。

 「後先考える奴ぁ、時々何考えてんのかわっかんねーな。短剣に割く金もねぇはずだろ?」
 「自分の命と比べりゃ、これくらいお安いもんだ」

 「餓死しちゃお話にならねぇな」と、笑い飛ばすジェラルドであったが、寸秒過ぎた後にふっと真面目な表情へ戻す。護身用の短剣へ銀貨を傾けるほど、理由があるのだと読んだらしい。ガヤガヤと喧しい周囲から逃れるように顔を近づけ、内緒話をするように、口元に手を当てる。「何かあんのか」と、潜める声に答えるべきか一瞬だけ悩んでから、柳火は頷いた。
 護衛から帰る途中に出会った、年齢が六十になる商人から聞いた話だ。ヴァ―ロスに訪れて間もなかった柳火は、町に関する情報も人々から仕入れていた。一体ここはどんな町なのか、何か特産品があるのか。歴史から最近の出来事まで、知っていることや聞いたことまで、暇潰しも兼ねて情報を引き出す。
 商人の口から出てきたのが数ヶ月前、吸血鬼に襲われた話だった。けれど未だ居座ってるかは分からない、もしかすると既に討伐されてるかもしれない。能天気に話す商人だったが、柳火は無視出来ず、どうやって危機から逃れたかを問い出す。そしてその際に購入したのが、純銀で作られた短剣だった。

 「被害出してりゃ、とっくに殺されてんのかもな」
 「そうだな、……そうかもしれない」

 利益の天秤にかけたのならば、頭痛を起こしかねない失態だ。しかし柳火は、後悔のない面持ちで頷き、言葉を曖昧にした。吸血鬼が現れ、被害が出るのはそう珍しいことでない。だからこそ、用心するべきだと直感が働き、それを信じた。
 その時、話が切れたタイミングでおかわりした大盛りサラダが運ばれてくる。隣町から直送された、新鮮な野菜をふんだんに使われ、たっぷりとした彩り豊かな栄養を、柳火は早速取り入れ始めた。先ほど空にした品物の皿を積み重ねておきながら、未だに勢いが衰えない。起床し始めた傭兵達の朝食注文に、ウェイトレスやウェイターは誰もが忙しそうにしていた。
 サラダをフォークで突き刺し、シャキシャキと頬張りながら辺りを見渡す。大半が寝起きの軽装姿であったが、中には既に武装し、依頼書の前で立ち尽くしている者の姿もある。カチカチと皿と金属の音を鳴らし、知人と談笑するテーブル席も多い。退屈そうにボトルとジョッキを並べる者は、今日は不在のようだ。

 「なぁ、リュウカっつったっけ?」
 「……ん、なにか」

 呼ばれた名前に一瞬だけ反応が遅れて、柳火は視線を前に戻した。周囲の騒がしさにより、声が聞き取りづらい状況だ。無理もないと言った素振りで大男は苦笑する。フォークをカチリと皿に置いて、水がたっぷり含まれたグラスに手をかけた、その時だ。

 「我ら『白金の鎧』の団長、ハーマン様がお見えだ!」

 ジェラルドが何かを言いかける前に、突如入口の方角から張り上げた男の声が飛んできた。開かれたドアは乱暴に壁へ叩きつけられ、ドカンと爆音を響かせる。それまで騒がしかった酒場の中も、時が止まったようにしんと静まり返っていた。
 入口から現れた侵入者は文字通り、洒落た銀色の鎧を着込んだ者が数人。頭も全て覆う甲冑は、ガチャガチャと、喧しく金属を鳴らしながら綺麗に整列するなり、お偉い様らしき人物を出迎える。雨の中ご苦労なことだ、と柳火はぼんやり思っていたが、潤いに流し込んでいた喉が、一秒だけ止まった。
 淡い金色の髪と白い肌、騎士と言うにはあまりに似つかわしくない容姿を持つ男だった。短い髪に多少の水気が含まれていたが、特に気にしていない様子ようだ。着込んだ銀色の鎧も、より繊細な作りと模様が刻まれ、上位に立つ者と主張されている。年齢は三十前半辺りだろうか。若くして厳かな雰囲気を出してる様子から、相当な実力者と思って良いかもしれない。
 水を飲み終えたグラスを置いても、何故か目だけは、離せなかった。

 「ハーマン様、本日はどういったご用件で?」

 受付嬢の声が、やけに大きく響いて聞こえる。しかしそれに返答する若き団長の声が、まるで耳に入らなかった。ぼそぼそと伝えているのか、それにしてはにこやかに接している。緊張を走らせていた酒場であったが、時計の秒針が進むごとに、緩やかではあるが賑わいが戻っていった。
 怪訝な表情を浮かべていたのは、ジェラルドも同じだったようだ。若き騎士に釘付けとなり、状況を飲み込めていない様子に気付いたのか、見知らぬ男に声掛けられる。依頼に出る前だったのか、軽鎧をまとって得物も携えていた。

 「よぅ、あんた達は初めてか、『白金の鎧』を見たのは」
 「何なんっすか?あのおっかねー雰囲気かもしてる奴ら」

 警戒する新人の声に、先輩面した青年は柳火に一言了承を得てから、隣の席へと座る。武装はしているものの、依頼までまだ時間はあるらしく、快く質問に答えてくれた。
 『白金の鎧』とはヴァーロスから馬車で一週間、馬で駆ければ三日ほどかかった先にある、フレイリルと呼ばれる国で結成された騎士団である。普段は国内の治安を守る為に動き、そして傭兵ギルドへ訪れるなりして、仕事を分け与えているようだ。距離はあるが付き合いも長く、積み上げてきた信頼から、そこそこの高額で雇われている。つまり騎士団様と傭兵の間では、お得意様と言う訳らしい。
 続けて話す先輩曰く、国同士の戦争にも稀に助力しているようで、戦場に出てもらう依頼もされたことがあったのだとか。今は国同士、穏便な解決へと向かってるらしく、仕事も少ないみたいだが……。胡散臭さから寄り付かない人もいるよと、先輩は苦笑を溢す。だが、その印象は最初だけで、徐々に打ち解ける人も多い。
 そしてこの日、綺麗な鎧を雨と泥で濡らしてきたのは、体調不良によって人手が足りず、その代わりをわざわざ募集しに来たようだ。

 「確か、今年になって入ったばかりの新人も募集してたっけ」

 君達も見てみたらどうだい?朗らかに笑いながら、一通り喋りつくした青年はゆったりと立ち上がる。壁に掲げられた時計へと目を移したことから、もうすぐ時間なのだと察しがついた。じゃあね、とひらり手を振った青年に、柳火はありがとうございますと一礼する。
 すたすたと去った先人を尻目に、柳火はジェラルドと顔を見合わせた。既に、相手は人懐っこい満面な笑みを浮かべている。何だか嫌な予感がして、皿に置いていたフォークを再び手に取ろうとした。

 「柳火、受付に聞いてみようぜ!」
 「まぁ待てって、まだサラダが残って――」
 「んなことしてらぁすぐ埋まっちまうって!」
 「せめてあと一口、腹が減っちゃ戦が出来ないとか言うだろ」
 「お前も金欠なんだろ?そんでもって、報酬も美味いんなら早いもん勝ち!ほら行くぞ!」

 ガバっと立ち上がると、ジェラルドはその勢いあるがまま柳火の首根っこを掴む。フォークを床に落とし、バタバタと抵抗する青年を引きずり出す。その力は簡単に解ける訳がなく、外套ごと掴まれ首が締まり、思わずぐえぇとカエルが潰れたような声を漏らした。落ち着きない同期だと内心舌打ちしながら、結局歩調を合わせて自らの足で歩き始める。
 確かに、今の自分は金欠に陥ってる、その点は何も言い返せなかった。味気ない食事も飽きてきたところで、これもまた思わぬ好機だろう。しかし食事への感謝も忘れず、丁寧に残さず頂く主義でもあるのだ。後で文句を垂れ流そうと、心に固く誓った。

 ばたばたと忙しなく、ウェイターと同業者を掻き分けながら受付に向かう。潜り抜けられた人の顔は、迷惑そうだったり、驚いていたり、呑気に笑っていたり。そんな中でふと、ハーマンと呼ばれる騎士団長と目が合った。銀色の双眸で、穏やかな笑みを浮かべて。一見、美しい人だと思った。だがその笑顔が、ただの微笑みのように見えなかった。それを不思議に思って、柳火は一瞬だけ歩みを止めてしまう。行方不明になった、自分の父親と姿を重ねているのだろうか。彼は騎士ではなく、魔術師だったはずだが。
 猪突猛進な大男へ視線を戻すと、部下が騒がせたお偉いさんに気付いてなかったのか。ジェラルドは、既に受付嬢と食い気味に会話を交わしていた。

 「よっしゃあっ、柳火!早く来いよー!」
 「…………」

 汗が流れる白熱した交渉に、どうやら半ば強引にもぎ取ったらしい。喜びに大はしゃぎする大男の声。そして呼ばれた自分へと、一斉に視線が集まるのを感じた。勘弁してくれと、心の奥底で深く長い溜息を吐く。
 もう一度だけ、騎士団長の行方を確認してから、柳火は仕事の受付カウンターへと歩き出した。

小説

【長編】

  • B.Mercenary (未完)

  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】

  • in this hopeless world (完結)

  •  01 / 02 / 03

    【短編】

  • Just sleeping, probably

  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意

  • Nothing else matters
    ※ 流血注意

  • That's what they call me
  • 他ジャンル