【Title:構成物質 (http://kb324.web.fc2.com/)】
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「そいつは大層な冒険だったな」
カルバチアから数日かけて帰還した柳火は、常宿『謳う烏亭』の一階酒場、カウンター席の隅っこを陣取っていた。宿でお馴染みのエールジョッキを片手に、兜を被ったまま器用に頬杖を突きながら、視線は宿の亭主へと向けている。外はまだ陽光が注いでおり、酒場の中は客も少なく、小さな物音もよく響いた。
あの後は追加報酬である聖剣と、金貨と銀貨がどっさりと積まれた袋を受け取り、大した危険に遭遇することもなく帰って来た。護衛の最中、荷馬車に数名の山賊が取り囲んで来たが、一人の首を落として別名をチラつかせれば散り散りに退散。また獣の集団にも遭遇したが、殺気を少しばかり放てば大人しく退いた。特筆することはない。
リューンに到着した馬車を下りたのは、今朝の市場が活気付いて来た頃。そして柳火が常宿に辿り着いたのは、今から一時間ほど前の丁度昼時であった。
報酬で得た大金は、自らの荷物袋の中へ隠し持ち、そして追加で得た聖剣は今現在、柳火の足元に立て掛けられていた。大層な剣は、相変わらず魔力の漏洩を抑える布に巻かれている。これもやがて術式の完成次第で、柳火が自在に武具の出し入れを行う、その次元に納められるのだ。
亭主の背に隠れた厨房からは、ジュウジュウと肉を焼く音が聞こえ、それだけでも腹の虫が大暴れしていた。その感覚を少しでも紛らわそうと、先ほどからエールを水のように流し込んでいるが、これがなかなか落ち着かない。たった一つの依頼で一月も宿を空けてしまっては、常宿で食べる温かい飯も恋しくなってしまうものだった。
「全くだ、これなら暫くは休んでもバチは当たらないだろ」
「お前さん、そのセリフはあの山積みの貼り紙を見てから言え」
一方亭主は、昼間の多忙で積み重ねていた食器を洗い終えて、水を布で拭き取っている。亭主の言葉に釣られて木造の壁際へ移すと、掲示板に釘刺された貼り紙は二重三重と乱立していた。その中でも特別、大袈裟に飛びこんで来た貼り紙には、「今なら半額の銀貨6000枚!」と怪しい一文が力強く書かれていた。何かは分からないが、賢者の塔からの商品広告だろう。陽が沈む頃、酒場の客入りが増えてきたら、剥がして捨てようと心に決める。
掲示板を一瞥するなり、柳火はエールジョッキを持ち上げながら、視線を元に戻した。兜越しの口へ少量垂れ流し込んで、乾いた喉を潤してから呟く。懐かしむように、のんびりとしたトーン。だが心なしか、多少の寂しさも混ざるように響かせた。
「アイツが冒険者を続けるなら、仕事を斡旋しても良かったんだが」
「話に出ていた、生き残りの男か?」
亭主がこぼした疑問の声に、柳火はゆっくりと頷く。その時、ジョッキを持ち上げた手応えの無さに気付いて、中を覗き見ると酒が底をついていた。先ほどと変わらず頬杖を突きながら、空のジョッキを亭主の目の前にコトンと置く。追加を注がれる気配はないが、柳火は気にすることなく言葉を続けた。
「ディラン・ユークデイズ、壊滅した冒険者達『秘境の凩』の吟遊詩人。親父さんも聞いたことはあるだろ?」
「……数々の旅団に楽曲を提供しているって噂の、有名な冒険者と名前が合致しているな」
「あぁ、紛れもなく同一人物、噂も真実だ」
「その人、私も聴き入ってたことがあるけど、素敵な詩を書かれる人よね。はい、お待ちどおさま」
実際、ここ『謳う烏亭』にも関連の旅団が何度か訪れたらしく、亭主はすぐにピンと来たようだ。それに続いて、亭主で隠れていた厨房からは、青紫色の髪を後ろに結んだ女性が出て来た。
女性の手に持つトレーには皿が乗っており、その上にはこんがりと焼かれた分厚いステーキが鎮座していた。湯気を噴き出しながら、ジュウジュウと油と肉汁が弾け飛び、漂うガーリックソースの香りに刺激され、いよいよ腹の虫が大騒ぎし始める。ステーキ皿の横には、新鮮な野菜スティックを数本突っ込んだグラスと、オニオンスープが入った皿も置かれていた。
亭主に向けて差し出されていた、空のエールジョッキを回収してから、作った料理を柳火の前に手際よく並べていく。話は一通り聞いていた口振りだったが、特別憂うこともなく、女性は依頼に出向く前と変わらず、テキパキと動いていた。
「ありがとう。夏樹が作った料理も久し振りだ」
「お腹いっぱいに召し上がれ。柳君が遠征している間に、少しレパートリーを増やしてみたんだよ」
夏樹と呼ばれた青紫髪の女性は、柳火を一目見るなり明るい茶の瞳を細める。料理名が数行書かれている紙の切れ端をカウンターテーブルに置き、ついでと言わんばかりに柳火の隣席へ腰掛けた。増えたレパートリーに興味を示した柳火は、その紙切れを見ると目を丸くする。ミートパイをアレンジしたらしい、魅惑的な料理名が並んでいたのだ。感心しながら夏樹に視線を合わせ、楽しみにしてると伝えて笑った。
「それで、その人は冒険者も辞めるんだよね。後のことは聞いてないの?」
好奇心旺盛に冒険譚の続きを縋った夏樹は、柳火の兜下にある目を見つめて聞き出す。柳火と夏樹は、特別距離感の近い関係を持つが、一瞬脳裏に掠めた冒険者の末路に、柳火は息を詰まらせた。聖職者を庇う斥候の姿が、己と重なる。きっと、存在しない未来だと、心の中でそう言い聞かせる。
かつて英雄だった、詩人ディランの行く末を紡ぐ。莫大な名誉を掲げていた日々から、たった一瞬で絶望に叩き落されたにも関わらず、再び自らの足で乾いた地面を踏み締める。そんな元冒険者の背中姿を見送ったのは、まだまだ記憶に新しい。別れの言葉は告げず、代わりに旅の無事を願う。
柳火は答えた。
「各町や村を巡りながら、英雄の軌跡を伝えていく。そんな旅人になる、ってさ」
――END――