裏路地商店 -葉月亭-

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B.Mercenary 00

 Day ++++

 カラリ、と乾いた音が静かに響き渡る。
 昨晩の喧騒と遠く離れたここは、自由を手にする冒険者にとって、憩いの場となる宿だ。朝の静けさにしては窓からの日差しは強く、昼にしては騒がしさがない。カウンター越しの亭主は、退屈そうな眼差しで懸命に食器から水気を拭き取っている。この宿に所属する、ほとんどの冒険者は未知を、金を、あるいは様々な目的の為に朝から飛び立った。
 だが、カウンターの席に一人、羽を休めるままの人がいる。鍛えられた体つきからして、男性であることは把握出来た。袖を捲ったワイシャツの上に黒のベストとスラックス、少し褪せた青ネクタイを身に着けている。冒険者にしては個性的に見える服装だが、亭主は長年の付き合いからか気にも留めない。外見年齢を探ることも難しい、顔を覆う独特な黒兜でさえ今更咎めることもなかった。
 男は泡立った液体をまるで水の様に喉へ流し込み、ジョッキをテーブルに叩きつける。ガツンと鋭い音が宿中に響き、それと共にうんざりした大きな溜め息を吐いた。

 「柳火、昼前からペースが速いぞ」

 ようやく初めて亭主は声をかけるが、柳火と呼ばれた男は悪びれる様子もなく、「エールが切れた」と追加を要求してくるだけだ。空いたジョッキをカウンターに押し付けるが、何かを渡される気配がない。しかし止める言葉も口にせず、水を差しだすこともなく、亭主はじっと飲んだくれを見ていた。
 何か言いたげであるが言葉を探しているのだろう、そう読み取った黒兜は亭主へと視線をやる。落ち着いた年齢になると、いずれはあのような気遣いが出来るようになるだろうか。柳火はふと、ぼんやりとそう思う。兜の奥に光る、深い海原と空がちらりと見えた。

 「昨日、弟が亡くなった」

 絞り出した掠れた声で、聞かれる間もなくそう告げる。喉が渇いて仕方ないのだろう。亭主は拭いていた皿を鳴らし、エールが注がれたジョッキをテーブルへコトンと置く。そして少しの間を空けてから、短く「そうか」とだけ呟いた。再び辺りはしんと静まり、ごくごくとジョッキに入った酒は飲み干される。ぐらりと揺れる視界を抑えながら、無音の宿に入り浸っていた。
 柳火の様子に異変が出たのは、亭主にも心当たりがない訳ではない。
 厨房で仕込みの最中、一人の見知らぬ女性がこの宿を訪れた。古ぼけた外套を身に着けフードを被っていたが、まるで潔白のシルクのように細く、長い髪が垂れていた。そして上品な言葉遣いで柳火の行方を尋ね、足早にその場を立ち去ったのだ。暫くして柳火は宿に帰って来るなり、カウンター席に腰かけ酒を注文し始め、今に至る。
 酷く、疲れている声だった。

 「弟は生まれつき体が弱くてな。もう十二年前になるのか……、訃報を届けた女と二人で世話していた」

 聞かれることもなく、抑えきれなくなった溢れる感情をぽつぽつと語り始める。弟の持病が悪化しないように、回復へ向ける為、あれやこれやと手段を尽くしたが一向に良くならず。逆に悪化することもなかったが、状況は気が遠くなるほどの平行線を辿っていた。それも生活の一部とさえ思うようになったある日、柳火は出会ってしまったのだ。
 ここで一旦言葉を区切り、ジョッキを持ち上げ酒を流した。亭主の前に積み上がる、皿の山は随分と減ってきたが、空いたジョッキの密林はまだまだ広がりそうだ。まだ酔いには程遠いのか、はっきりとした口調で続ける。

 「隣町へ買い物した帰りの山道で、ゾンビウルフに襲われてさ。体力も尽きかけて、危うく餌になりかけた時、助けられたんだ」

 冒険者。一か所に留まることなく各地へ巡り、自由と言う刺激を愛し、束縛と言う退屈を嫌う者達。その者の存在は知っていたが、実際の働きっぷりを目の当たりにしたのは、それが初めてだった。憧れはやがて決意に変わり、育てられてきた家から離れることにしたのだと。
 時々冷めた揚げじゃがを口へ放り込み、また注がれたエールを飲み、一息吐いた。亭主は表情を変えることなく、ただ語る口を待っている。代わりにコトン、カチャン、と高い音を鳴らす食器を慎重に扱っていた。微かな生活音以外が響かない沈黙は、やがて震えた声によって頼りなく破かれる。

 「なぁ、親父」
 「なんだ」

 亭主は拭き終わった皿を数枚重ね、背後の棚へ置きながら返事をする。兜ごと項垂れながら、ジョッキをようやく手放した柳火は、余計な声を殺すことに努めた。嗚咽など聞かれたくない、ただ一つだけ親身になって聞いてくれる人へ、言いたくて吐き出す。

 「俺は、自分勝手で、どうしようもない兄だったよ」

 途中で縛られることが嫌になり、世話を全て使いに押し付けて飛び出して。そのくせ亡くなれば泣いている無責任なのが、情けなくて仕方ないと、柳火は自分自身への怒りが堪え切れず声を荒げた。その様子を亭主はどう捉えたのか、食器を片付ける手を止めた。

 「お前さんが被るソレは、弟さんの為だったんじゃないのか?」
 「――え」

 予想外の言葉を投げかけられ、柳火は一瞬驚きの声を漏らし顔を上げる。視線の先は、相変わらず食器を片付ける亭主の背中があり、振り向くことはなかった。真っ白で飾り気のない皿を捌くと、次は空のジョッキへと手を伸ばし始める。
 酔い始めてきているのだろうか、突如突き出された動揺がやがておかしくなり、男は思わず笑ってしまった。沈んでいた心に空気が吹き込まれたように、一気に上機嫌となる。手放していたエールジョッキを再び握り取り、半分以上残っていた酒をぐっと全て流し込んだ。
 男の兄弟は並べてみればほとんど似ていない、そんな容姿の中たった一つだけ共通点があった。僅かに色が合致しないオッドアイ、空のような青と、海のような青の瞳は、気付いた者の虜にする。もし男の名前が知り渡った時、もし見知らぬ誰かが恨みを持った時、もし二人が兄弟だと知られてしまった時、真っ先に弱い者へ毒牙がかかるだろう。そんなあらゆる可能性を弾く為に、男は奇妙な黒兜を被り始めたのだ。
 大切な弟を、巻き込みたくなかった。

 「あぁそうだよ、あんたは名探偵か?」
 「ワケあり冒険者は、そう珍しくないからな」

 ただそれだけ言うと、亭主はようやくカウンター席へ振り返った。それから新たなボトルを持って、酔い始めた冒険者の前に置くのだ。先ほどまで出していたエールとは違う、黒に塗り潰されたボトルだった。無言で差し出された追加の酒に、この時初めて柳火は怪訝そうに視線を向ける。
 これは、そう亭主に問い出す男は、これを知っていた。

 「贈り物だとさ。確か届いたのは先週だったか、お前さんに渡してくれと頼まれたもんだ」

 中身の有無さえ確認が難しい、分厚い黒塗りの贈り物を見つめる。簡単に巻かれたラベルには、色褪せた文字で『B.Mercenary』と書かれていた。懸命に拭き取っていたようだが、所々埃がこびりついている。商品としては最低な贈り物だが、中身はさぞ上品な味に仕上がっているのだろう。送り先の男は確信した。
 新たなグラスを持ってきた亭主は、黒ボトルに興味を示しながらカウンターへ置いた。知り合いかと、短く問う亭主に黒兜は頷く。微かに見えた空色と海色の双眸を細めながら、ゆっくりと頬杖を突いた。

 「冒険者になる前に知り合った、傭兵時代の同期さ」




小説

【長編】
  • B.Mercenary (未完)
  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】
  • in this hopeless world (完結)
  •  01 / 02 / 03

    【短編】
  • Just sleeping, probably
  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意
  • Nothing else matters
    ※ 流血注意
  • That's what they call me
  • 他ジャンル:Elona

  • 柳火が行くノースティリス旅行記
  •  01 / 02

  • 嵐の中からの襲撃
    ※ 流血注意