Day 209
コンコンと乾いたノックが、部屋に響き渡る。
気が付けば、窓辺にまで傾いてきていた西日は、殺風景な部屋を橙色に染めていた。昨日図書館から借りてきた、とある国の歴史書が思いの外面白く、夢中になっていたようだ。『黒の傭兵』ギルドの敷地内を窓から見下ろせば、仕事帰りの先人や、特訓終わりの訓練生が行き交っている。
休暇もあっと言う間だ。昨日は護衛依頼から帰宅するなり、そのままベッドへと身を沈め、起き上がった頃には日も高く真昼を迎え、乾いたパンをかじりながら読書していると、もう日が沈みかけていた。ゆったりとした動作で、座っていた椅子から腰を上げる。昼頃から読みふけっていた本を、古いベッドへぽんと投げ出した。ドアの先から声はなかったが、催促するようなノックが再び鳴り響く。
部屋でくつろいでいた赤髪の青年、柳火は溜め息を吐いてから、先ほどから叩かれているドアへと向かった。わざわざ部屋に訪れる客人は、大体決まってるようなものである。
「ジェラルド、どうし、た?」
ガチリ、とノブを回しドアを開けると予想通り、青い髪を黒い布で掻き上げた褐色肌の大男、ジェラルドが姿を現した。しかし、その表情はどんよりと沈んでおり、思わずかけるべき言葉を見失う。向かい側も伝えたい言葉が出て来ないようで、代わりに柳火の前に両手を差し出してきた。……否、泥だらけの大剣を見せてきたのだ。
刀身一メートル以上あるはずの大剣は、ほぼ柄から先がバッキリと折れていた。思ったよりも大事な事態だと察知した柳火は、息を飲んで視線を投げ返す。今にも泣き崩れそうな男を、これ以上刺激したら、それこそ面倒極まりない。
柳火の視線を受け取ったジェラルドは、目に涙を限界にまで溜め込みながら、震えている口をようやく開いた。
「りゅうがぁ、武器屋までづぎあっでぐれよぉ!」
その申し出を引き金に、ジェラルドは折れた愛剣を両手で持ちながら、わんわんと子供のように泣き崩れてしまう。普段は物持ち悪いジェラルドが、相当大切にしていたのは、柳火も薄々勘づいていた。武器屋を営む父が作った、最高傑作だと何度か耳にしていた。手合わせで大剣の丈夫さ、切れ味、重さ。それらに圧倒される度に彼は胸を張り、得意げに鼻を鳴らしていたのだから。手入れも欠かさなかったようで、その大剣は錆知らずだった。
今やそんな誇らしげな姿はなく、顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、大粒の涙をボロボロと流している。縋りつかれた柳火には、その姿が弟と重なって映り、思わず顔をしかめた。胸がチクチクと刺さったように痛む。
「……分かった。付き合ってやるから、そんなに泣くな」
途中、何事かと言わんばかりに寮の住人が顔を出していたが、関わりたくないのかすぐに顔を引っ込めていた。武器屋へ向かう、その準備に取り掛かろうと自室へと振り返れば、輝かしい西日が山の向こうへと落ちている。今日は帰りが遅くなりそうだと、柳火はそっと溜め息を吐いた。
**********
ヴァ―ロスで経営する武器屋は、傭兵ギルドから歩いて数十分と距離がある。町中を走る馬車で移動するのが一般的であるが、収入が不安定な二人は節約の道を選んだ。
武器屋の店名は『黒土』と呼ばれており、お得意様『黒の傭兵』へ向けた武器を主に生産している。そんな黒土には半年ほど前に、一度だけ足を運んだことがあった。柳火はジェラルドを連れながら、記憶を頼りに突き進んでいく。一方同期は、廊下の件から少しずつ落ち着いてきたのか、目的地へ近付くにつれて、徐々に口を開くようになっていった。
剣が折れたのは、ヒルダが指導する訓練に励んでいた時だったこと。二人一組となった相手が刺突剣、いわばレイピアで戦っていたこと。そして度重なる連撃を大剣で防いでいた時、耐え切れなくなった瞬間、愛剣が派手な音を立てて割れたこと。
事の経緯を丁寧に、ぽつりぽつり呟くように説明され、柳火はただ静かに聞いていた。折れた大剣は、麻の布で丁寧に分厚く巻き、太いベルトで固定して担ぎ上げられている。柳火にはそれが、持ち主の肩に負担かかってるように見えた。恐らく、父親の看板も共に背負い込んでいるのだろう。
「……わりぃな柳火、情けねぇツラを見せちまった」
わしわしと気まずそうに自分の髪を掻く、大男の表情は反省が色濃く染まっていた。もし、壊れた剣がただの鈍であれば、災難だったと声を掛けていただろう。柳火はジェラルドから目を逸らし、「気にしてない」と一言だけ投げかけた。
しかし無意識なのか、腰に下げた長剣の柄に手を当てていた。もしこの剣が壊れたとして、泣きじゃくるほどの愛着はないだろう。ただ使いやすいから選んだ。それこそ鈍同然ではないかと、小さく苦笑した。また次の新品を、壊れたものと同じ武器を手にするのだろう。
だから、柳火は少しだけ、ジェラルドが羨ましいと思った。
ヴァ―ロスの大通りには、大勢の人々で溢れ返っている。夕日が山の影に隠れ、仄かに残っていた夏の気配が、暗闇に飲まれて薄らいでいく。仕事終わりの酒を浴び、早々に出来上がった酔っ払いの踊りに合わせ、弦を弾く吟遊詩人。通りかかった酒場から陽気な声が聞こえてきた。きっと今頃、傭兵ギルドでもどんちゃん騒ぎになってることだろう。
室内の明かりが窓から漏れて、夜道がまだ明るいと錯覚させていた。生温い風が、二人の頬を撫でる。肌を焦がすような、夏の暑さはもうない。湿気はまだ帯びているが、それもあまり気にならなくなってきた。
「柳火」
ジェラルドの声に、どうしたと返事をして視線を投げかける。厳つい顔付きの男は、幾分真剣な目付きを向けていることに気付いた。また風が吹き抜け、お互いの髪が揺れる。いつの間にか、柳火は足を止めていた。
体が氷漬けにされかけた記憶が脳裏を掠め、微かに肩が震える。
「俺さ、いつか誰にも負けねぇほど強くなったら、親父の跡を継ぐつもりなんだ」
「……親父さんの跡って、鍛冶屋の?」
突拍子もない話の変化球に、聞き手は目を丸くした。突然何を語り始めるのか、言葉が喉から飛び出そうになる。しかし親しい同期の顔があまりに真面目で、苦笑すらまとめて喉の奥へと仕舞い込んでしまった。
ジェラルドが傭兵になった理由を聞いたのは、今回が初めてだ。だが、何故そんな話を引っ張り上げてきたのかは、検討がつかない。しかも特別に興味があった訳でなく、柳火自らが入団理由を語ったこともなかった。それでも一つだけ、分かったことがある。
お互いに、打ち解けてきているのだと。
「あぁ。黒の傭兵に入ったのも、剣や鎧を使う奴らを見て勉強する為でよ。その後はどっかの城の兵士や騎士、フレイリルに行きゃ手っ取り早いかもな。『白金の鎧』の仕事も度々こなしてんだ、多少優遇してくれりゃ万々歳だ」
「傭兵の次は誇り高き騎士サマか、あんたには似合わないな」
「なにもまだ決まった訳じゃねぇよ。……まぁ、確かに似合わねぇな」
大男も自らが鎧を着こんだ、清潔な騎士の姿を思い浮かべたのだろう。少ない明かりの中でも分かる。ニヤリと笑う同期が、正直言って気色悪かった。
フレイリルは、ヴァ―ロスから馬車で一週間ほどの距離がある国だ。フレイリルの治安を守っているのが、『白金の鎧』と呼ばれる騎士団で、柳火達が所属する『黒の傭兵』の上客でもある。そんな騎士団からの依頼を見つける度に、この大男は柳火に同行を頼み込んで、共に仕事へと向かっていた。そのせいか、騎士からは期待の傭兵として、徐々に顔を覚えられつつある。
ジェラルドはフレイリルへ訪れ、城の内部で仕事をする度に、自分の名を売り込んでいる。そして今後もきっと、『白金の鎧』からの仕事を見つけ次第、彼は引き受けるのだろう。柳火は一人で納得し、だが少しだけ表情を曇らせた。堅苦しい雰囲気から窮屈に感じるのか、騎士団への苦手意識が拭えない。
「だからさ、柳火」
名前を呼ばれ、再び大男へと顔を向けた。夜を纏い、深みを増したブルーグレーの瞳は随分と真剣で、そんな友の姿に、柳火は小さく静かに息を吐く。緩やかに冷えていく空気が心地よく、しかし体中に巡る血は熱く感じられた。
「俺が鍛冶師になった時には、最高傑作をお前に送らせてくれねぇか?」
折れた大剣を担ぎながら、紡ぐべき台詞ではないだろう。傍から見れば、あまりに最低で不格好だ。親父の最高傑作を派手にぶっ壊しておいて、人に最高傑作とやらを送ろうなど、ロマンの欠片もない告白だった。出直して来いと、突き放す真似も出来る。
けれど、柳火は気付いた。また無意識に、鈍の柄に触れていることに。あぁ、だからこんな、突拍子もない夢語りをし始めたのかと、ゆっくりと理解する。自分にとって特別に、大切に想う武器を持つとは、果たしてどのような気持ちになるのか。それを持たぬ者にとっては、その感情は未知の領域だった。
「あぁ、待ってる」
上機嫌な酒飲みの下品な歌声が、店の壁越しから聞こえて来る。仕事が終わろうと喧騒が消えない夜の大通りで、二人の傭兵は静かに約束を交わした。
**********
それから少し歩いて、ヴァ―ロス唯一の武器屋『黒土』に辿り着く。出入口は路地裏にひっそりと佇んでおり、大通りからでは非常に見つけ辛い建物だった。太陽が山の奥へ帰った今では、路地にほとんど光が届いておらず、気味が悪い。そんな暗闇の中で、扉からこぼれる唯一の明かりを見つけると、柳火は少しだけほっとした。
向かう途中から営業時間を気にしていたが、どうやら心配は不要だったようだ。先客である少年らしき人と、ガタイの良い男のやり取りが視界に入る。来客は小柄な体格だが、古びた焦げ茶のローブで姿を隠しており、唯一の判明材料は声だった。一方、ガタイの良い男は中背で、黒い髪を布で雑に巻き上げている強面である。元は前線に立っていたかのような鍛えられた肉体が、薄っぺらい衣類からよく見えた。後者が店主で間違いないだろう。
扉より一歩先に踏み入れると、蒸して暑苦しい空気に触れ、鉄の臭いがツンと鼻を突いてきた。
店内はそれほど広くはなく、カウンター越しのスペースを除けば、大人五人入るには厳しいぐらい。壁に掲げられ並べられている武器達は、一目で分かるレプリカであり、その種類を数えるには苦労しそうだった。
「おぅ坊主、噂をすりゃなんとやらだ」
新たな来客にいち早く気付いた強面の店主は、ニカッと無邪気な笑みを浮かべながら、顎をくいっと上げて示す。野太い声に反応して振り返る客は、柳火もよく知っている顔で思わず声を上げた。ローブから露わになったのは、サラサラと艶が見える黒い髪と、闇夜を思わす瞳。それらと対になる白い肌。整った顔立ちは幼さが残り、しかし表情は無に等しいせいか、いくらか大人びても見える。
いつものローブと色変わりして気付かなかったが、黒土に訪れていた少年は、柳火やジェラルドと同期の傭兵、シリルだった。
「ジェラルド」
静かな声で、けれど若干慌てた様子でこちらに歩み寄って来る。柳火の後から入ってきたジェラルドは、突如飛び込んできた同期の影に、ぬおっと驚いた声を上げた。直後に「ごめん」としょぼくれた謝罪が、シリルの口から付け加えられる。
小柄な同期が腰から下げている得物は、使い込まれたレイピアだ。ジェラルドの元へ駆け寄って来る時、柳火は一瞬を盗み見たが、どうやら少年は武器を買い替えに訪れた訳でないらしい。昨日振りの、感動の再会を目の当たりにした店主は、わざとらしく息を吐きながら、大きな手を差し出した。
「青髪の兄ちゃん、武器をぶっ壊したんだろ。見せてみぃ」
「なんで、おっさんがそれを知って」
「お前さんのオトモダチから聞いてな、ちょっとした騒ぎになったらしいじゃねぇか」
きょとんとしたジェラルドは、ニヤニヤと笑う店主を見上げて数秒硬直する。その様子に、柳火は思わずゆっくりと目を逸らしてしまった。騒ぎになるのも、無理はないだろう。寮の廊下では、わんわんと子供のように泣き散らし、平静を保っている間も酷く落ち込んでいた。大剣が壊れた場面を目撃した訳ではないが、この大男の性格を知る者であれば、誰だって心配する。調子すら狂わされること間違いない。
同期が愛剣を壊した、そんな噂を聞きつけたシリルは、一足先に黒土へと駆け込んできた。だが早めに着いてしまった少年は、待てばいずれ来る確信を抱きながら、ここに留まっていたようだ。その間に、店主がシリルから上手いこと事情を聞き出したのだろう。流石商売する人は話術もお手の物だと、柳火は思わず感心した。
「…………」
黒土に訪れた本来の目的だ。ジェラルドは無言で担いでいた布を下ろし、それを手渡す。持ち主の表情は真剣そのもので、職人の鋭い目付きに切り替わった。片付いているカウンターの上に依頼品を置き、巻きつけた麻の紐を解いて、布を丁寧に捲り上げる。
廊下で見せられた時と同じ、壊れた最高傑作がカウンターの上いっぱいに姿を現す。柄と刀身の間で、くっきりと残っているヒビ割れが、なんだか痛々しく映った。
一方、今回初めて哀れな大剣を見たシリルは、表情の変化は相変わらず乏しいが、それでも僅かに顔をしかめたのが分かる。武器が壊れた原因は、一点集中の突き攻撃を浴びたせいだ。少年はサッと武器を隠すように立ち振る舞ったが、柳火は小さく苦笑して首を振る。あんたのせいじゃない、分かっていると囁きかけ、不安そうに見つめるシリルを落ち着かせた。
「直せそうか?」
緊張した面持ちのジェラルドは、沈黙に耐えきれず問いかける。折れた剣をじっくりと眺め、時々刻印らしき窪みへ視線を釘付けになり、また柄を注意深く観察していた。終始無言を貫かれているせいか、次に繰り出される言葉がまるで予想付かない。
もはや神へ祈らんばかりに縋る持ち主には、目も当てられなかった。
「こいつぁ……、相当骨が折れそうだな。修理するにゃ――」
「っ、直してくれ!大切な剣なんだ、頼む!」
依頼先の唸り声を聞くなり、ジェラルドはガバッと頭を上げ、必死な様子で頼み込む。だが相手は職人なりの壁を感じてるようで、依頼人の懇願を前に渋るばかりだ。何せ持ち主曰く、一流の鍛冶師が作った最高傑作であり、腕の立つ職人であればそれを語らずとも理解出来たのだろう。
藁にもすがる気持ちで願う男は、修理出来るか、修理出来ないかを最も重視しており、修理期間や修理費には全く耳を貸していない。シリルもその点が気にかかったのか、一言を放つべきか飲み込むべきかとそわそわしている。これまで静観していた柳火は寸秒、考える素振りをしてから、口を開いた。
「刻印を見て分かったんだろう?こいつはその息子さんだよ」
「……、なに?」
一瞬、鍛冶屋全体が凍り付くような沈黙が包み込む。説得に最適な材料は、使えるのならば頂点に立つ者を使うのが良い。職人の太い眉がピクリとさせて、ゆっくりと顔を上げた。
傑作品に夢中だったのが、今度はジェラルドへと視線を移す。唐突に注目を浴びせられた大男は、表情を強張らせるが、ふるりと肩を震わせて、見世物の現状を凌いでいた。身分を偽装することは容易い世の中だ。相手の反応を読み取りながら、柳火はあと一押しの材料を突きつける。
大体の人々は使える手段。そして真の名を隠す自分には、決して使えない方法だった。
「こいつはジェラルド・クレイトン、将来は鍛冶師になって親父さんの跡を継ぐんだとさ」
確信に満ちた堂々とした面持ちで、けれど冷静さも保つ調子で、柳火は口に笑みを浮かべる。息子である証明は、いくつか持ち合わせていることを知っていた。一流の鍛冶師が送った大剣が、何よりの証拠だ。
しばしの静寂。外からの音もまるでなく、酒場からの喧騒も聞こえてこない。ただ、時計の秒針だけはカチコチと、低く短い音を毎秒奏でていた。言葉が去ってから、何度針が動いたかなんて覚えていない。長いようで短い時が流れた。
その時だ。
「クックク……、ガッハハハッ!」
突如豪快に笑い出す店主に、傭兵達はびくりと注目した。何事かと怪訝な表情を浮かべるジェラルド、単純に大きな声に驚いているシリル、攻めた後で博打に出た結果を気にする柳火。誰もが次の言葉を待った。なお面白おかしそうに笑う男は、穏やかな表情で首を振る。……否、頷いた。
「わぁったわぁった!兄ちゃんの大剣を直してやらぁ!」
**********
契約証に書かれた修理費は、なかなかお目に掛かれない、とんでもない価格だった。『5000sp』と力強く記された数字に、開いた口が塞がっていない男が一人。柳火の背後で、未だに契約証の内容を確認している。
シリルは同期の愛剣が修理されると知って、小さく息を吐いてから「よかったね、ジェラルド」と安心した感想を伝えるなり、さっさと寮へ帰ってしまった。本人は悪気がないみたいだが、傍から見れば興味を失った野次馬そのものだ。
黒の傭兵との契約で割引されているはずが、それでも財布に重くのしかかっている。手持ちにあったギリギリの500spを支払ったジェラルドは、期間までに残りの金額を用意しなければならない。それに愛剣を暫くの間預けることになり、代わりの武器を黒土から選ぶ必要があるのだ。
早速夢への架け橋がグラついているなと、柳火は壁を眺めながら淡白に思った。
店内を囲うあらゆる壁には、実に多彩な武器が掲げられている。刀剣から槍や弓など、お手頃で一般的な武器は壁に飾りつけられていた。重量で物を言う斧やハンマーは、流石に床へと降ろされているが、専用の棚でしっかりと支えている。
「柳火、お前も武器を見るのか?」
「……ん、あぁ、少しな」
そう問うたジェラルドは、新たな大剣を発見してはレプリカを手に取った。人間ならば、両手で持ってようやく扱える大剣が、この店では何本も置かれているようで、物珍し気にあれやこれやと触れては、使い心地を確かめている。だがこの男は、壊した愛剣を一筋に生きているのだから、きっとコイツじゃなければ駄目だと思わせる剣を選ぶのだろう。
柳火が今扱っている長剣は、傭兵に所属して間もない頃、当時に丁度良く扱いやすい理由で購入したものだ。だがそれから日々鍛錬を欠かさず、体を鍛え技を磨いている内に、今の剣では物足りなく感じるようになった。
折角の機会だ。そう思った柳火は、今の自分に合う武器を求めて、見慣れぬ剣を持ち比べる。やはり扱いに長けるのは刀剣類か。種類によって、扱い方も随分違ってくるもので、場合によっては輸入先の国によって作りが異なってくる。
「なんだい兄ちゃん、お前さんは武器を買い替えるのかい?」
大笑いしてから、すっかり職人から商人に転じた店主が顔を出し、上機嫌な様子で柳火に声を掛けた。商人は客への観察眼が鋭く、時々気分を持ち上げてくる。財布の紐を緩める手口に警戒しながら、品物を選び始めた。
おもむろに手に取った剣から、丁寧に説明を受ける。ファルシオンソード、刀身が長い見た目に反して意外と軽く、一部の国では人気があるそうだ。次に持ってみたのはグレートソード、両手で扱う剣であり、ずっしりとした重みに腕がピリリと痺れる。ゆっくりと丁重に元の位置へと戻した。
「……ん」
また次の名を知らぬ刀剣へ、手を伸ばしかけた矢先。柳火はふと視界端に入ってきた物が気になり、ぴたりと手を止めた。いくつもの戦う為に作られ、並べられた武器の片隅に、道具がひっそりと息を潜めていたのだ。実際武器屋に置かれていることは少なく、どちらか言うと農家の道具として親しまれている。
目線の先に気付いた店主は、これまた得意げに笑ってみせた。まるで「お目が高い」とでも言いたげな調子である。
「おっ、兄ちゃんは気付いちまったか。そいつぁ戦闘用に作ったモンだ」
「戦闘用……、道具と何が違うんだ?」
商品棚の隅にはひっそりと、黒く大きな鎌が置かれていた。
子供の背丈ほど大きさで、持ち上げると先ほどと同じように、手首がピリリと痺れる。笑う三日月は、黒と銀のグラデーションを描いており、一方月の手綱である長い棒は、全ての光を飲み込まんばかりの漆黒を纏っていた。農家ならば重労働となりかねないだろう。特殊な加工が施されているのか、比較的に薄く鋭い刃からは、期待を裏切らんばかりの重量を誇っていた。
手持ちの道具へと意識を集中させる。微かに感じる魔力の気配は、今までにない冷たさがあった。その間、店主が丁寧に説明しているようだったが、喋っている認識は出来たものの、言葉がまるで頭に入って来ない。
呪われているような気配はないが妙に惹かれて、どこかで心が躍っている自分に戸惑った。高鳴る鼓動を抑えて、細く長い息を吐く。これではまるで一目惚れのようだと、己自身に呆れた。
「柳火、剣は買わねぇのか?」
「ん、あぁ……」
異変に気付いたか、もしくはいつも通りに気楽な感覚か、不意にジェラルドが声を掛けてくる。意識を引き戻された柳火は、曖昧に返事しながら武器から目を離した。
傭兵の間では、取り扱う武器も人それぞれだ。刀剣類が多いものの、先人の中には弓を扱う者や、モーニングスターで豪快に戦う者がいる。それと向き合えるのならば武器の種類は制限はしないと、以前鬼指揮官から教えられたことを思い出した。
間違いなく、戦い方も根本的に変わってくるだろう。それに、非常にとっつきにくい武器であることは明確であり、先輩の中でさえ扱っている人を見たことがない。だが柳火には、たった一つの好奇心が芽吹いていた。
興味を持った。モノを傷つけることしか能がない無機物へ、愛着を持つことに。
そして、少しだけ期待した。鍛冶師になるあいつの最高傑作とやらが、どのようになるのかと。
果たして買うのか、買わぬのか。客のシンキングタイムにじっくり付き合う店主を横目に、柳火は大男へちらりと視線を投げた。少し前まで泣きべそをかいていたとは思えない、曇り一つない顔で同期へ首を傾げる。この先の選択がどうなろうとも、笑って見届けんばかりの清々しい表情だ。
柳火は金貨と銀貨が混じる袋を取り出しながら、片隅に眠っていた大鎌を手に取った。
「なぁ、帰ったらちょいと手合わせに付き合ってくれるか」
**********
空気を切る音が、重く響き渡る。夕日が落ちてから数時間が経過し、すっかり寝静まった深夜帯。傭兵ギルドの訓練場には、二つの影が立っている。それらは定期的に見回りに来る職員でなく、どちらも訓練生だった。
一方は、青い髪を布で巻き上げた大男。所々に傷が目立った古い鎧を身に着け、両手で持ち上げてやっと支えられるような、大振りの剣で構えを取った。鍛え上げられた太い腕の筋肉は、飾りでないことが一目で理解出来る。刀身の影から垣間見える褪せた青の瞳には、強い光が宿っていた。
大男と対峙するのは、赤い髪の青年。相手とは正反対に、自身の身を守る物はまるでなく、古い外套をゆったりと揺らしている。半年ほど重ねてきた鍛錬のお陰か、筋肉もある程度ついているようだ。そして黒土で購入した大鎌を、早速慣れない手つきで構えている。スゥッと鋭く尖らせた青い瞳は、遠くの仄かな灯火を受けて、怪しく光らせた。
再び風が吹き、土埃が巻き上げられる。刹那、対峙していたお互いが、ほぼ同時に地面を蹴った。
青髪の大男、ジェラルドは大剣の切っ先を、乾燥した土に直線を描き、雄叫びを上げながら突進するように距離を詰める。剣先に触れた土が水気を含めた様子を、一瞬で確認した赤髪の青年、柳火は同じく距離を詰め、三日月で前方を切り裂いた。
しかしその軌道は予想以上に大きく弧を描き、腕に電流が走ったようにビリビリと痺れる。危うく両手からすっぽ抜けそうだったのを、歯を食いしばり堪えながら振るった。金属が衝突し合った、甲高い音が一つ。しかし相手には一切の傷を付けられず、容易く軌道を変えられてしまう。バランスを崩したその隙に、ジェラルドはチャンスと言わんばかりにギチリと力を込め、新品同様の大剣を従わせた。
「――っ!」
その動作は、以前より明らかに速い。武器屋では妙に吟味していたのは気になっていたが、どうやら彼はあれよりも『軽い』大剣を選んだようだ。想定外の選択に、柳火は強く舌打ちする。あり余った勢いで刃を下に、大鎌を地面へと突き立てる。横薙ぎに迫りくる刃を、漆黒の金属棒で咄嗟に防いだ。全力で振るわれた大剣の衝撃がそのまま伝わり、悲鳴を上げた両腕に顔を歪める。
黒土の鍛冶師と、この町の魔術師が思案して作られたらしい大鎌は、それはとてもとても扱い辛かった。全体重を持って振るえば、逆に持ち主が振り回される羽目になり、狙いがブレて大きな隙が出来る。かと言って自身が制御出来る程度の力で振るうと、武器を扱い慣れた者が相手では、簡単に弾き返されてしまうのが目に見える。
手合わせとは言え、二人でやる時はいつだって手加減知らずだ。気を緩める場面を間違えれば、命も落としかねない。それは彼と初めて出会った日、早朝に酒場で一戦を交えた時から、何も変わっちゃいなかった。ありのままの実力勝負で、互角の力比べが楽しくて仕方ないと言いたげな調子だ。だが、それは――
ふと、足元から這い上がって来る、異質の気配を感じ取る。
魔術による特殊加工が、この大鎌に施されているのならば。柳火は激痛が走る両腕の先、握り拳へと強く集中する。金属に通る細い回廊へと流し込み、やがて秘められた力は突き立てた地面へと到達した。ほぼ同時にボコリと、地面が泥を吐き出し呼吸する。
魔法は全体的に上手く扱えないが、そんな不器用な男が唯一使える小細工。足元から這い上がろうとした異質の正体は、錬金術により編み出された泥の使徒だ。
「ハッ、こんな小細工が通用すると思うなよ!」
「やらねぇ後悔よりゃあやって後悔だろ!」
大鎌の刃に集った魔力は熱を帯び、瞬く間に爆発を引き起こす。魔力に溶けた泥は土へと還り、灼熱から逃れようとしたジェラルドは、一度刃を引っ込めさせた。爆風により巻き上げられた土埃は、周囲の視界を容易く奪い、互いの距離感さえも曖昧にさせる。しかしこれは、相手にとっては充分な時間稼ぎになったようだ。明らかに勝利を確信した男が、咆哮を上げながら大きな剣を振り下ろす。
不味いと思った。血と共に巡る魔力の脈が熱を放ち、全身が熱い。脳が焼き切れんばかりに思考し、確実に決める次の手を探す。額から汗を流しながら、目と鼻の先へと迫る死を見つめた。そんな状況だと言うのに、腹の底から湧いて来るのは。
今を生きてる実感である。
――死を予感させる戦いは、柳火自身にとっても、楽しくて仕方なかった。
「もらったァ!」
ガキンッ!と一際大きな金属音が、辺りに鋭く響き渡る。
ジェラルドは更に押し込もうと体重を乗せてきたが、その動作はピクリとも動かず、力の行き場を失った手元がカタカタと鳴った。静寂が訪れてから数秒。冷えた風によって土埃がゆっくりと払われると、大剣の持ち主は目を丸くさせる。
柳火は、地面に突き刺していた大鎌を持ち上げ、急接近する刃を完全に受け止めていた。つい先ほどまで、慣れない手付きで重い武器を持ち上げ、振るうだけでも精一杯だったはずだ。驚愕の色に染まっている相手の表情からは、そう読み取れた。
「言ったろ、小細工は、もう見切ってるって」
柳火は不敵に笑ってみせたが、余裕がないことは流石の鈍感でも伝わってしまったのだろう。
足元から泥が這い上がってくる前。柳火はその時から、大鎌に施された一部の術式を書き換えていた。昨日まで使用していた長剣の重さに近付けて、無理のないレベルにまで魔力を削ぎ落し、改めて持ち上げてみれば何と軽いことか。しかしその発想は、ジェラルドがいつもより素早い動きを見せなければ、恐らくは閃くこともなかっただろう。
柳火は瞼を寸秒だけ閉じて、細く長い息を吐き出し、再び酸素を取り込んだ。魔術式の書き換えなど、例え駆け出しを抜けた魔術師であろうと、そう容易く行えるものではなかった。毎秒二度三度の脈を打ち、襲撃を防ぐ両腕も先ほどから震えが止まらない。それでも不思議と踏ん張れるのは、一種の極限状態だからか。
次はどう動くのか、神経を尖らせながらタイミングを窺う。攻めてくるか、あるいは防戦に切り替わり、形勢逆転が狙えるチャンスとなるか。
吹き込んできた夜風が、少し涼しく感じた。
「…………」
不意に、両腕に重くのしかかっていた圧力がスッと消え、怪訝に思った柳火はゆっくりと顔を上げた。
突然武器を引っ込めて何のつもりだと視線で訴えたが、そこには笑顔もなく真面目な顔して見下ろしている。灰色に溶けた青色の目に、柳火はびくりと体が強張ったのを自覚した。何もかもを見透かされているような、ありもしない錯覚に陥る。背筋が凍り付き、ドクンと鼓動が跳ねて、息が苦しくなって空気を吐いた。
その拍子に両腕がだらりとぶら下がり、手から滑り落ちた大鎌は、がらんと派手な音を立てて地面に横たわる。殺気は引き、興奮は冷めた。もはや体を支える必要もなくなり、柳火は地面に力なく膝を付いて蹲る。
「はぁっ……、はぁ……、うっ!」
新鮮な空気を肺に流し込んでは出して、たまに咳き込んだ。生と死を分ける勝負事となると、締め付けられるような緊張感のせいか、よく呼吸を忘れてしまう。柳火にとって、癖のようなものだった。再び撫でてくる夜風が、心地よく感じる。体に帯びていた熱も、ゆっくりと冷やされていく。
数分間の小休止を挟んだ、しばらくの静寂。
呼吸も落ち着いてきた様子を見て、ジェラルドは大きな手を差し出してきた。寸秒経過してからようやく気づいて、ゆっくり手を取ると、ぐいっと力強く引っ張られた勢いで立ち上がる。間接的ではあるが、打撃を受けていた両腕の震えも治まりつつあり、足元に転がっていた大鎌を拾い上げた。
立つ程度なら、問題なく支えになるぐらいの力は戻ってきたらしい。
「しっかし柳火、それを持つと一段と死神になったみてぇだな」
「……一段と?」
先ほどの手合わせから、まだどこか感情が昂ってるらしく、ジェラルドの声は心なしか弾んで聞こえた。見上げてみると、あの時の真面目な表情は既になく、いつもの人懐っこい笑みで、ブルーグレーの瞳を輝かせている。
一方、言葉の一部分に引っかかった柳火は、顔をしかめた。つまりこの大男は、以前から自分を死神のように思っていたらしい。思われていた本人は、今まで一言も聞いた覚えがなかった。どう言うことだと、目を鋭くさせて問いかければ、彼は全く悪気のない様子で口を裂いた。
「大鎌っつったら死神らしいじゃねぇか」
「違う、俺が聞きたいのはその前だ」
「その前ぇ?」
「いつからか分からんが、これを買う前から死神のように見てたんだろ?」
「……あー、そっちか。だってよ柳火、お前が不利だと積極的に首を狙って来るじゃねぇか。怪我しても、痛覚がどっか行ってるぐれぇに怯む様子も見せやしねぇし」
ジェラルドから受けた指摘にハッとなり、柳火は今まで手合わせした記憶を急いで掘り返す。数々の手合わせした記憶を思い返す途中、唐突に塩水をぶっかけられた恨みが芋蔓式の如くに蘇り、大きな溜め息を吐いた。当時は単なる悪足掻きと、無理矢理納得させていたが、本人の動機を今この場で発覚して、複雑な気分となる。万が一成仏してたら、どうしていたのだろうか……。
そして肝心の戦い方には、大いに心当たりしかなかった。満たされる気持ちと生きてる心地が麻酔になってて、あまり自覚出来ていなかったようだが。指摘の通り、自身が不味い状況に陥ると、首を一点に狙う傾向が確かにある。首を斬り落とす気は全くないのだが、ジェラルドにとってその姿が、とても恐ろしく映ったらしい。今までの秘めていた感情が、どこか気怠い声色で伝わる。
「俺ん中じゃあ、お前を『赤髪の死神』って呼んでっからな。だから、一段と死神らしくなったっつぅこと」
「…………」
一体、いつの日から呼び始めたのか。一瞬口を開きかけたが、止めた。多分その解答は、自分自身も知っている。出会い頭の一戦を交えてから、大して変わりはないのだ。
そんなことよりも、柳火はジェラルドからの呼び名へと意識を向ける。『赤髪の死神』、それは紛れもなく自分に向けられている名で、センスはともかく妙に心に響いていた。握っている大鎌へ目をやると、仄かに光る赤のまだら模様が視界に映る。これを持って、首を刈り取る自身の姿を想像して、納得した。なるほど、確かに以前よりも死神らしく見える。
「……へぇ、気に入った」
「あ、何がだ?」
柳火の唐突な肯定に、同期はきょとんとした顔で首を傾げた。最初は相手の疑問を正直に答えようと、口を開きかけたものの、自分の口から言うには気恥ずかしさがある。ならば今後、友のように夢を語る日が来た時、改めてその名を口にしようと決心した。
だから死神は、今は小さい笑みを浮かべるだけにして、首を振った。
「何でもない。それより明日に響くだろうし、寮に戻ろうぜ」