裏路地商店 -葉月亭-

管理人『柳の灯』による、フリーゲーム『CardWirth』関連の個人サイトです。

in this hopeless world 01

【Title:構成物質 (http://kb324.web.fc2.com/)】

 しん、と眠る廃墟の片隅。遥か昔に取り残された教会は、蔦と苔に弄ばれた姿で人を出迎えた。
 かつて神聖な場として、多くの人を救い、天へ伸びる階段で導いていたであろう。残酷な成れの果てを尻目に、訪問者は小さく息を吐いた。神を模した像らしきものは、長年の風化によって表情と手を無くし、天使を模した像なんて蔦で首が絞まり、翼も割れている。滅んだ時代は相当昔と察するものの、唯一新鮮に嗅ぎ取れるのは腐臭とカビの臭いぐらいだ。
 気配を消しながら進む訪問者は、旅人の身なりではなかった。羽根つきの黒兜を被り、使い古した外套を身にまとっている。兜のせいで顔は窺えないが、鍛え上げられた体格から、男性であることは断定出来るだろう。名を柳火、またの名は『赤髪の死神』と呼ばれる冒険者であった。
 微かに奏でる外の雨音は穏やかなもので、どこかでご機嫌な蛙の歌声も耳に届く。しかし雨天の日はやたら危険が伴う、そんなジンクスがこの男の中にあった。警戒心を一切緩めることなく、柳火は足元と周囲を見渡しながら慎重に歩く。

 ――時を遡ること一週間前に、柳火はとある女性から指名の依頼を引き受けた。

 冒険者の中でも実力を備え、名声を上げた者には、信頼の意を込めて、指名の依頼が入ることもある。それら全てが良いとは限らないが、唯一確かな共通点を挙げるとするならば、報酬額は間違いなく高価なものであろう。しかし高額な報酬が賭けられると、この界隈では危険を怪しむ者も少なくはない。
 『形見を持ち帰って来て欲しい。成功時のみ報酬は7500sp』
 簡潔に書かれた、一行の筆跡を思い出す。繊細で綺麗な字、最後に書かれた名は女性の名。大切に育てられたお嬢様なのだろう、新品同様の羊皮紙を手に取り、字を見ただけで柳火は察していた。恐らく高貴の出、裕福な環境で生まれ育ったか。そして指名を受けた翌日、実際に依頼人と会って話を聞けば、随分と曰くつきな依頼であることが判明したのだ。

 「形見、ねぇ……」

 ポツリ、と柳火は独り言をこぼした。仕事の詳細を伺った際にも、依頼人がそう称していたのだ。
 どうやら依頼人の先祖は、ここで栄えていた国の王族を守る騎士だったらしい。風化された歴史を辿るのは困難を極めたが、唯一事実として書き記されていた物が見つかった。国は反乱軍に攻められたが、先祖の騎士が返り討ちに軍を壊滅させ、王族を守り切ったこと。王直筆で延々と称え書き綴られた手記が、奇跡的にも発掘されたのだ。
 国の場所も特定し、早速調査に向かわせたが、帰って来る者は誰一人として存在しなかった。この知らせに依頼人が頭を悩ませていると、確実に遂行させる為の助言を受けて、次は実力ある六人の冒険者を雇い向かわせる。結果として、帰って来た冒険者はたった一人だけだった。片腕を失い、所々に傷を負い、命からがらに逃げ出した冒険者が持ち帰った、たった一つの情報。それを、依頼人は少し苦しそうな表情で柳火に開示する。

 『形見……、呪われた剣を見つけ出して、こちらへ持ってきて下さい』

 指名を受けた理由、報酬が多額である理由が、これにてハッキリとした。
 そして柳火が国の跡地へ来ているのが、依頼に出した答えとなる。――

 ランタンの明かりに頼らず、僅かに気配のする魔力を探りながら、柳火は教会の奥へと進んだ。神聖な場所だったのは遠い過去へ置き去りに、今では血生臭さと腐敗した臭いを漂わせ、蔓と苔と風化により無残な姿となっている。何故国が滅んだかは不明だが、きっと碌なことが起こらなかったのだろう。周囲の亡霊が口出すこともなければ、柳火もまた予測を立てるだけで口にはしなかった。
 ある程度まで教会の通路を潜り抜けると、柳火は周囲の魔力を探り始める。反乱軍の首も含め、剣一本で掻っ捌いたならば、相当な怨霊が住み着いてると予想した。人間や生物に流れる生命は、高い魔力が宿っている。それを浴び続けた武器は、魔力を帯び変貌することも決して少なくはなかった。依頼人が称した形見、十中八九魔剣と化して、派遣された冒険者達は壊滅にまで追い込まれた。そんなところだろう。
 そして案の定、柳火は気配を掴み取り、元凶の方角へ再び歩き出した。

 天井近くにまで伸びた開きっぱなしの巨大な扉は、赤茶色に染め上がっていた。その扉には、微かに手らしき痕跡と、黒い血痕が点々とこびりついている。その場でゆっくりと辺りを見回してみるものの、遺体らしきものは一切落ちていなかった。
 柳火は魔力探知の術を解き、代わりに魔術を編み出す言の葉を短く紡いだ。すると柳火の足元からチリリ、と微かな金属音を響かせながら鎖が伸びる。魔力で呼び出されたはずの鎖には、一切その気配を感じさせない。それどころか、周囲の魔力を寄せ付けずかき消す力が備わっていた。とある水の都で教わった、基礎的であり強力な結界魔法である。

 柳火は、巨大な扉の先へ一歩踏み入れた。不気味なほどに静まり返り、雨の音だけがやけにうるさく聞こえる舞台は、大広間。正面奥には先ほどの扉と匹敵するほど大きく、偉大な神の像が朽ち果てている。神が見下ろす先の講壇は、血飛沫の跡と共に半壊しており、教会椅子など全てが薙ぎ倒されていた。しかし拾う骨など一本も残っておらず、腐臭は漂えど肉塊の影はない。
 冒険者が調査に訪れた日から、そこまで時間が経ってないはずだ。それにも関わらず遺体一つ残ってない不自然さに、柳火は眉をひそめた。獣が食い荒らした痕跡も見当たらない、ならば死霊術師が攫ったのだろうか。もしくは――、思案を巡らせていると、柳火はピタリと動きを止めた。
 教会で祈りを捧げられ堕ちた神の足元に、それは突き刺さっていたのだ。

 「こりゃあ、立派に肥えた魔剣サマだな」

 今はまだ離れているが、確かに感じ取れる禍々しい魔力。変色した赤い柄から伸びる灰色の刀身は、殺意が駄々洩れな上に鈍く光らせている。何百、否、何千年、何万年もの時の風化さえ物ともせず、負の光を宿す魔剣は、神の下で胡坐を掻いてるようにも見えた。大量の血を浴び続けた、それほどに強い力を持ち合わせてるのは、間違いなさそうだ。
 一歩、また一歩と惹かれるように歩く。剣と距離を縮めるにつれて、凄まじい邪気と圧迫感が増し、ビリビリと肌から痺れる感覚が襲った。鼓動が高鳴る。我を手に取れと、魔剣が心に囁く。とうとう魔剣に手が届く距離にまで来た柳火は、歩みを止めた。そして、躊躇する素振りを一切見せずに、魔剣へと手を伸ばす。

 『我こそが真の力を授ける聖剣、今こそ我を手に取る時』

 そう精神に囁き続ける魔剣は柳火を誘う。――否。

 「そろそろ家に帰る時間だ、問題児!」

 柳火が魔剣を手に取り、叫び、神の足から引き抜いた直後。
 隠れていたつもりの大量の不死者が姿を現した。一周ざっくり見渡し数えたおおよその数、二百は超えている。そして魔剣と接触する手元から肉体へ、濁流の如くに流れ込んで来る、瘴気と記憶。そして無数の断末魔が耳元に鋭く響き渡った。悲しみ、苦しみ、憎しみ、あらゆる負の感情が剣から知らされる。それと同時に、人波に押し寄せられる幻覚が映り、柳火は眩暈を覚えて立ちくらみを起こしたが、なんとか踏ん張った。
 血の臭い、断末魔、混乱。そして嫌でも伝わってきた、人肉を捌いた時に残る手元の感覚。依頼人のご先祖様は、よほど人の心がなかったのか。絶えず襲う頭痛と眩暈、吐き気に耐え、愚痴をこぼしたくなった柳火だったが、違う、と首を振った。普通の人ならば、これを手にしただけで発狂する。それほどの力が宿っているのだ。

 (道理で、精神がイカれるワケだ)

 細く長い一息を吐き、黒兜の中で異色の瞳が開かれる。すると教会全体の時が止まったかのように、しん、と静まり返った。その時寸秒、いや、それよりも少し短い。
 一閃、黒い筋が走り、一つの亡者が音もなく消え去った。コツン、とブーツの底を鳴らして着地したのは、たった一人の生きる者。魔剣を両手でしっかりと握りしめ、見せびらかすように構えながら柳火は笑った。

 「聖剣なんて随分と威勢が良いじゃないか、気に入った!」

 亡者をまた一体斬り捨てる。そこでようやく蠢いた不死者の群れは、地獄の叫びを鳴らしながら襲い掛かってきた。
 不死者の中でも厄介者とされるリッチは、我先に手を伸ばして生命を握り潰そうとする。いち早く目視した柳火は、己の左手の親指を噛み、血を刀身に塗り付けた。束の間、柳火は外套を翻しながらリッチの伸びた腕を斬り裂く。直後、斬り落とされた傷口から白い炎が湧いて、身を焼き尽くした。聖職者を斬った際に取った血を剣に絞り出させ、リッチを斬り裂いたのだ。刀身に塗りつけた血は、従わせる前払いに過ぎない。
 次の不死者は、浮遊する頭の骨。肉体を持たぬが故素早く飛来し、生き血を通わせた肉に食らいつこうとした。しかし上下の牙は開いたまま分断され、噛みつく動作も叶わぬまま、床へと落ちていく。何を使うまでもない、柳火は魔剣を一振りして骨を砕いた、それだけだった。
 怨念を吸い肥大化した腐肉には、我武者羅に勢いつけた不死者を誘い、一秒の時間に潜って衝突させる。動きが止まる隙に柳火は、剣に自らの魔力を無理矢理流し、青白く発光させた聖剣を握りしめ、腐肉と数体の不死者をまとめて斬り払った。

 柳火はまるで、剣舞を舞うかのように華麗に、猛々しく、斬って躱して葬っていく。この世から跡形もなく消え去る不死者は数知れず、また柳火も途中から数えるのを諦めた。そして時々、刀身に乾いた血痕を鮮血で上塗りし、徐々に魔剣の意思へと浸食させていく。休む間もなく不死者からの攻撃を掻い潜っていた柳火だが、息を切らす気配も見せず、楽しげに目を細めていた。
 おおよそ千の軍勢を葬った経験も積んでいる柳火にとって、この状況は油断ならずともお遊びに過ぎない。仲間一人として立ち入らせない戦場の中、柳火の足取りも軽かった。死神に模した不死者の大鎌が迫るものの、柳火は刃先の軌道をひらりと避けて、その勢いのまま魔剣を大きく振るう。骨まで斬り、存在そのものを天に送り届けた。

 「おっと、文句言うなよ。元はアンタが撒いた種だろ?」

 腐肉を切断した際、魔剣が不満そうに小さく震えるが、柳火は愉快そうに笑いながら戦場で舞う。魔剣は抵抗する素振りを見せるものの、その度に柳火は自身の力と、仕込んだ魔力によって魔剣の動作を制御していた。依頼の長期戦を見込んで、魔術の使用を控えているのはそのせいだ。
 もはや半分程度にまで片付けられてしまった不死者達は、魔剣の持ち主を恨みの対象と認識して襲っている。だからこの我が儘な形見を持ち帰るには、不死者を一つ残らず葬る必要があった。

 扉からふわり、と湿った風が吹き込んで、腐った血を噴き出させる中で、柳火はふと視線に気付く。
 不死者の中でも、最も形が保たれた人型のソレが五人。柳火は瞬時に理解する、道理で遺体が見つからなかった訳だ。しかし、じっと視線らしきものを送るのみで身動き一つせず、まるで不死者が片付くまでの順番待ちのように映った。その様子を尻目に、柳火は舌打ちする。待っているのだ。食えるようになるまで、獲物の体力が削がれて判断力が鈍る時を。だがその待ち人に手を出そうにも、不死者の壁に阻まれてしまうのだ。
 リッチの頭を叩き割る最中、魔剣が再び微かに震えた。血に飢えた叫びが上がると、耳元の雑音が酷くなり、眩暈が襲う。その隙を突いてか、地獄へ誘う黒い手が、ぬぅと伸びるのが視界端から見えた。
 ガキンッ!と鋭い金属音が廃教会全体に響き渡る。危うく触れられる寸前で、その手を魔剣で阻んだのだ。そして束の間の時間も与えず、柳火は空いた手で腰から銀の短剣を引き抜き、魂があるべき核を深く貫いた。不死なる呪いから解き放たれた亡者は、抜け殻の如く力を失い、床へ崩れて堕ちる。

 「なぁ」

 柳火は魔剣を持つ手へ、不意に握力を強めた。しっかりと魔剣を握り締めながら、着地した足をバネのように使って、すぐさま後方へ飛んで敵軍の襲撃から逃れる。そして目の前の亡者へ、魔剣による強烈な一閃を浴びせた。その切っ先は、まるで光を裂いたような黒い一筋だ。
 相変わらずどす黒いオーラと瘴気を纏い、生き血に飢えた手元のモノへ、ふと呟くように呼びかけた。

 「アンタは、この世界が嫌いか?」

 人間の手元に渡り、騎士の栄光と共に聖剣と称えられ、浴びる幾多の血と怨念に身を蝕まれ、今や心に囁き血を吸うモノにまで堕ちて。存在していたであろう、推測の歴史を連ねる柳火の声色に、右手に収まる肉、皮膚の上で確かに暴れる感触。長い年月を過ごす内に、確かな意志を宿した剣は刀身を震わせる。怨念、悲嘆、名誉。人のあらゆる声が呪いとなり、意志を穢し雁字搦めに縛り付けられた剣は、微かに、だが確かに藻掻く。
 何重にも絡め捕られた鎖を砕くべく、柳火は声を張り上げ獰猛に吠えた。

 「好きなら救い出してみろよ、この腐った世界を!」

 その時、刀身に纏う禍々しい瘴気から、僅かな白が見出される。同時に、柳火の左胸が大きく高鳴った。悲鳴と断末魔が耳元でつんざく幻聴が、一瞬だけ遠退く。幾千もの時を渡り、呪われ封じられていたはずの確かな意志を、聴いた。
 今でこそ剣を破壊せんばかりに群がる不死者が、人間の視界一面に広がる。教会の割れたステンドグラスを黒と灰で染め上げながら、現世で迷う子羊は掠れた咆哮を上げた。手元から流れ込む瘴気の勢いが強まり、鋭い頭痛に襲われた柳火は、米神に脂汗を一筋垂らす。だが、気を失うこともなければ、動きを止めることもない。
 止まれば終わる。この男は、それを誰よりも熟知している。そして、それは。

 「アンタのその『真の力』とやらを、俺に見せつけてみろ!」

 その時だ。挑発まがいの叫びに対し、まるで呼応するかのように、刀身でくすぶっていた白が強く輝き出した。無数の穢れた鎖を引き千切るかのように、魔剣だった『それ』は、神々しいまでの光を放つ。輝きはその場の全てを焼き付けるほど、しかし手の平から伝わって来るのは優しい温もりだった。肉体が興奮を示すかのように、再び柳火の心臓が高鳴る。
 目と鼻の先に、死が迫る。不死なる神の下僕が、地獄へ手を招く。骨の指先と目が合い、柳火は、嗤った。
 固い床に両足で力強く踏み締め、決してブレの無い剣筋で、不死者の腕ごと斬り落とす。それだけではない、立て続けに剣先の軌道を捻じ曲げ、相手の胴を上下に切り離した。腐食した液体を噴き出しながらも、死神の下僕は諦めが悪いのか、繋がっているもう片方の手を伸ばす。物理的な隙を突かれ、再度剣で切り落とすことは不可能であろう。だがそれは、あくまで物理的な話だ。

 「失せな」

 柳火が声を低く呟いた矢先、空いた左手から突如として劫火が噴き出し、腕を伝って激しく渦を巻き上げる。燃ゆる左手を突き出し、劫火は不死者の骨すら溶かしながら、原動力となる核を鷲掴みした。ある人は浄化の炎と見て崇め、またある人は地獄の炎と呼び震え上がらせる。そんな炎を浴びては、いくら死神に選ばれしモノだろうと、耐えられず断末魔を響き渡らせた。腐った肉が焼かれ、不愉快な異臭が鼻を衝く。
 そして、二百も超える群れの中で特別大物だったそれは、塵と化させて汚い床の埃になった。一息吐く間もなく、背後で動く気配を感知した柳火は、その場から離れようと体を傾けた瞬間。

 「――つっ!」

 左肩から、鋭い痛みが走る。一本の矢が過ぎ、一歩遅れて赤い液体が僅かに飛び散った。続けざまに鋭い光が飛び、抉られた左肩へ追撃するように刺さり、柳火は声を押し殺し辛うじて堪える。魔剣に注いだ出血分も考えると、これ以上の無茶は禁物だろう。隙を与えられることもなく、先ほどの矢、真空波、氷の槍など、数々の鋭利が連なって飛来する。柳火は瞬時に各方角と速度を見極め、床を強く蹴って飛び退き、追尾する氷の槍は剣で叩き落とした。

 雨のように降りかかる殺意を躱しながら、柳火はようやく元凶の姿を捉える。
 廃教会の半壊している講壇に、土足で立ち見下ろす人型が一つ。剥き出した頭蓋骨の額に布を巻き、継ぎ接ぎだらけの古いローブを身に着けていた。くすんだ宝石が埋め込まれた金色の腕輪は、右腕に何重も積み重なっている。そして、持ち合わせている魔力も大層なもので、柳火は目を細めた。あれは恐らく、魔術師。
 そして、先ほど矢が飛来した逆の方角を凝視すると、また一つの影が存在していた。魔術師が乗り上げた講壇の背後に身を潜め、斥候に馴染みのある古い武装を身に着けている。太く大きな矢筒を背負い、大型の弓を構えて様子を窺っていた。肉が剥げて骨だけ残ろうと、最大限に気配を消す技術に関しては、感心すらしてしまう。熟練の狩人さえ、到底辿り着けない精密さを誇っている。
 だがこの場へ送り出された冒険者達は、これほどの実力を持ち合わせていながら敗れ、墓標さえ建てられなかったのだ。
 一瞬巡らせた思考の間。柳火はふぅ、と溜め息を吐いた。その横で囁きかけるように、右手の剣が小さく震える。

 「……分かってる」

 目前の事態も、元はと言うと右手の暴れ馬が撒いた種だ。それは自らの手で片付けるべきだと、宿った意志が主張していた。今や微塵も穢れの見えない、仄かに光る聖剣へ様変わりしている。あの時、呼応に反応がなければ、己は間違いなくこの場で朽ちていただろう。左肩から伝っていた生命が、ポタリと一滴、床に零れ落ちた。
 時間は、そう長く掛けられない。

 弓を引く音が、耳に届く。刹那、光の速度で矢が放たれた。ほぼ同じタイミングで柳火は床を強く蹴る。コンマ二秒後には、矢が床を深く抉っていた。柳火が狙いを付けたターゲットは、魔術師。体勢を低くし追い風を受けながら、剣を構えながら飛び込んだ。
 獲物の反応は、僅かに速かった。横薙ぎの斬撃を長い杖で咄嗟に防ぎ、衝撃音と共に白い火花を散らせる。近くで予備の対象が動く気配を感知したが、柳火は無視して目先の敵を睨んだ。杖には数ミリ食い込んでいる。それを目視した柳火は、濡れた赤い指で刀身を撫でた。直後。
 バキンッ!と、甲高い音が大広間全体に響き渡った。剣先は鋭さを増して聖なる光を走らせながら、獲物を杖と共に叩き斬ったのだ。魔術師は講壇から背後へ落ちながら、神聖な光に焼かれて炎を上げる。
 だがその時、瞬間的に魔力を集約させ、最期の矢が放たれた。突如足掻き放たれた光の筋に気付いた時には、既に防ぐ余裕すらなく、柳火の右肩を貫く。

 「ガ、ァッ!」

 激痛に堪らず声を上げ、一瞬だけ動きを鈍らせてしまう。肺に詰めていた空気も吐き出し、酷い眩暈に襲われた。ワイシャツの袖を赤く濡らし、額には脂汗が滲み垂れる。しかしそんな状態に追い込まれても、剣だけは手放さなかった。最期の一撃を食らわせるだけ食らわせると、魔術師は満足したかのように、骨を灰と化して動かなくなる。死人は語る口を持たないが、性格の悪さだけ伝わってきた。

 柳火は急いで次の標的を探す、頭痛が叫んで集中力を掻き乱す。大粒の雨が激しく建物を叩く、水溜りに刺さる槍の音に、ハッと顔を上げた。直後、柳火はほぼ無意識にその場から飛び退いて距離を取る。すると、寸秒前に突っ立っていた場所に、暴風と黒い影が降り注いだ。
 息を潜めていた敵影三人目、泥がこびりついた軽鎧を身に着けている、双槍の使い手。若草色の厚い外套を纏い、その布に通された細い鎖がちらりと光る。そして白い首に掛けられた金色のチョーカーが、何よりも目を引いた。地味な斥候とは異なる、比較的派手な姿から察するに前衛だろう。
 先ほど逃した斥候の気配はなく、自らの失態に小さく舌打ちした。先ほど負傷した右肩からドクドクと、肌に筋を作って血が流れていく。目の当たりにする戦士の隙がまるでなく、応急処置を施す暇もなさそうだった。雨音だけの静寂が、秒針の三歩分だけ流れる。

 一切の音が消えた教会に響く、一滴の雨漏りが落ちた音。
 刹那、双方は同時に地を蹴り、矢の如く距離を詰めた。双槍を持つ骸の方が、速度が圧倒的に上回っている。今こそ全てを貫かんばかりに、右手の得物を突き出し迫ってきた。一方柳火は、再び鋭く輝き出した聖剣を構えながら、敵対者を真っ直ぐと見据えて走る。隙を窺う、何より速度を追い求める者へ、反撃する糸口を見出そうとする。今まで、そうやってきたように。左手に垂れた、乾きかけの血を握り締める。
 柳火は激突する寸前、右足で強く床を蹴り、自ら体を左に投げ出した。左手の血を使い、即座に編み出した術式を自らに刻み、身体能力を一瞬最大にまで引き出す。着地した足を軸に体を無理矢理方向転換させ、双槍使いの背後へ距離を詰めた。
 水滴を鳴らしてから五秒間、聖剣は二人目の清算が果たされると思った、その時だ。鋭い金属音が、辺り一面の空気を大きく震わせた。

 「なっ――」

 聖剣を持つ手首が痺れる、骨を切る感覚がない。もっと重い、分厚い金属に阻まれたのだと、柳火は遅れて理解した。庇うようにして突如現れた四人目、巨大な斧を盾のように阻んで、斬撃を防いだのだ。狙った隙を弾かれ、力で押し切ることも敵わないと咄嗟に判断した柳火は、やむを得ず距離を取る。
 亡き冒険者達の中でも、体格が二回りも大きい対象は、パワーファイターだったのだろう。それは成人男性の背丈以上にある大斧を、容易く豪快に持ち上げて構えた。黒い重鎧を身に着けているが、手入れを怠ったのか雑なのか、輝きはとうに失われて錆と傷も目立つ。そして無骨な体に似合わない、汚れた羽根飾りが太い手首からぶら下がっていた。
 鎧の隙間からは腐肉が辛うじて残っており、所々で剥き出した骨が見える。同時に、身の毛もよだつほどの瘴気を感じ取り、柳火は舌打ちした。

 (コイツが握ったのか)

 先ほどまで剣を呪い縛っていた鎖と同等、もしくはそれ以上に濃い瘴気を感じる。死して尚、解放されないどころか、寄生虫の如く邪気を食って育ったのか。柳火は前を真っ直ぐ睨みながら、半歩だけ後退った。突如乱入してきた戦士は、苦しむ様子もまるでなく、仲間意識が現存していることが分かる。とならば、呪いが助力となっている、そう考えるのが一般的だろう。生ぬるい風が吹き込んだと言うのに、冷や汗が流れた。下手すると、生前よりも強い。
 巨体の隣に並ぶ双槍の使い手、見比べて直感が告げる、正面からでは勝てないと。何故先客達は壊滅状態に追い込まれたのか、理由を探る間もなく、今では火を見るよりも明らかだ。
 あの二人には、魂ごと結ばれている絆が存在していた。

 ポタリ、と右腕から赤黒い雫が垂れた。小さな円を描き、神が見下ろす聖域を汚していく。戦場と成り果てた教会跡を、聖徒が見れば顔を蒼白に染め、奇声を発しながら嘆いたことだろう。柳火は音を立てぬよう、血と泥で濡れた左手で懐を漁る。深緑の葉を一枚取り出し、そのまま兜越しで口に放り込んだ。噛んで磨り潰し、その葉特有のエキスと苦味を味わいながら、少しずつそれを飲み込んでいった。
 傷を負い、血を流し過ぎた。だと言うのに、鼓動は高鳴るばかりだ。明らかに追い込まれている、真正面では勝機が見えない。だと言うのに柳火は、兜の下で笑みを浮かべていた。生と死の境界線がチラつき始めれば、食われた心に靄がかかる。生きている、日々求めている実感を得て、また一粒。絞り出された赤い命が、右手の甲から零れ落ちた。

 「……くっははっ」

 くつくつと笑いが喉から這い上がる。死と称する崖を背に、唯一の生きる者は肩を震わせた。
 柳火は今まで、数え切れないほどの死者を葬って来たが、これほど手応えのある死後の実力者は滅多に存在していなかった。ふと脳裏によぎった、死霊術師と長きに渡る戦いも相当だったが、仲間の助けもあってこそ討伐が達成されたのだ。今回の戦場は、いくら見回せど己一人しか立っていない。
 肉体の昂りを感じる。全身が興奮を示せど、司令塔となる脳は冷静に周囲の情報を取り込み、判断を下す。現状打破に必要な手段を見極めながら、思考を巡らせた、瞬間――

 コンマ二秒。
 稲妻の如く走らせた二本の槍に、瞬時に反応した柳火は、咄嗟に剣を横薙ぎに大きく振るう。生きた心臓を削ぐつもりだった二つの軌道は、火花を散らしながら逸れて、空気を貫き鳴らした。――死者の片足へ靴の甲をぶつけ、容易にバランスを崩す。

 「なにも速けりゃ良いってもんじゃないさ、そうだろ?」

 神速が裏目に出て、躓く英雄の背を見送りながら、柳火は上機嫌に笑った。移した視線の先には、思惑通りに巨体が斧を振りかぶっている。あんな馬鹿デカい斧が床に落ちれば、間違いなく左右両断されるだろう。柳火は小声で魔術の一節を口遊みながら、剣を構え懐へ躍り出て、そしておもむろに左手を突き出した。まるで緩やかに映る戦士の姿には、すっかり褪せた日々を思い出し、静かに目を細める。
 柳火が突き出したその左手は、振り下ろされる大斧の柄に触れた。すると、瞬く間に金属が錆び腐り落ちてゆく。急激に脆くなった箇所には、濃厚な魔力が薄らと青白く発光させていた。それは僅かな領域の時間を超過させる、急速な劣化と破壊を目的とした時空魔法だった。そして流れるように、構えていた聖剣で光の弧を描き、錆びたポールを豪快に両断する。

 ガキンッ!と短い金属音を鳴らし、直後に刃がついた巨大な金属は、重々しい音を立てながら床へ突き刺さった。一方、結果的に壊れた短い金属棒を振り下ろした死後の戦士は、想定外の出来事にバランスを崩し、前のめりに倒れかけてぐらついた。その時――
 ヒュンッと風を切る音。潜伏していた斥候が動き、隙を突かれたのだと気付く。冷や汗が浮かぶ。前方から放たれた矢を目視する直前に、矢を斬り払うべく、剣を即座に構え直した。
 しかし飛んできた矢は、想定を上回る軌道に突き進む。柳火は思わず驚きの声を上げ、そして兜の下で目を丸くさせた。小さな肉片が飛び散る。しかし、それは生きてる者の肉片ではない、腐った肉だ。分厚い鎧を容易く貫き、獲物となる核に食らいついた矢は、そこで役目を終えたように止まった。手元の剣が叫ぶように震え、ハッとした持ち主は両手で柄を力強く握り、吠える。

 「終わりだ!」

 矢の貫通方向とは逆から、核を鎧ごとまとめて聖剣で突き立てた。腐った肉と白い骨は、刀身が触れた箇所から光に浸食され、終いには灰と化する。
 その経緯を見送る暇もなく、巨体の核に突き立てた剣を引き抜き、素早く剣先を払いながら背後へ振り返った。暗闇に火花が咲いて、風と共に翻した古い外套に、新たな傷が生まれる。
 兜の中から睨んだ、視線の先には双槍の使い手。だが即座に違和感を覚えた、相手は槍を一本しか所持していないのだ。突如得物を失うのには、あまりに不自然過ぎる。その時脳裏に掠めた記憶と、同時に強い魔力の気配を感知し、違和感が確信に変わった。

 見失った槍の行方を探ることなく、柳火は横っ飛びにその場から離れた。その際に懐から一つの水晶を取り出し、先ほど自身が突っ立っていた場所へ放り投げる。直後、魔力と暴風が渦を巻き吹き荒れ、その衝撃を受けた水晶は、派手な音を立てながら大爆発を起こした。柳火が咄嗟に投げた水晶は、炎の精霊を封じた秘宝の一つ、火晶石と呼ばれる物だ。強い衝撃を受けた際、石の内部から強烈な爆発を引き起こし、同時に破片も飛び散らせて突き刺す。言ってしまえば、危険物の一種だ。
 恐らく、そんな爆発物を当てようと、魔力を帯びた槍には掠り傷一つ付いていないのだろう。だが、例え壊れていようと無傷だろうと、関係もなければ興味もなかった。柳火は横っ飛びから片足を着地させた、その直後に全身を使い方向転換させ、爆発と共に撒かれた黒煙の中へと突っ込んだ。久しく垂れた血に呼応するように、長剣は輝きを増す。そして柳火は刀身に破魔の紋章を授け、煙を纏いながら一直線に対象へと斬りかかった。

 ギンッ!と金属同士の衝突と共に、甲高く鳴り響かせて激しい火花を散らす。槍の使い手は、咄嗟に両手で得物の持ち手を張り、光の刃を防いだ。聖剣は構わず槍を食らい、じりじりと刃が金属を抉るように食い込み始めた。カタリ、と骨が僅かに戸惑う気配がする。直前に刻んだ破魔の紋章が、槍に覆うヴェールを緩やかに剥いでいく。血が騒ぐ、兜の中で、その男は笑みを深めた。

 「またな」

 ポツリ、と別れの言葉を零した瞬間、バキンッ!と金属が悲鳴を上げて折れる。二度目の最期、かつては心臓が生命を運んでいた、今は核となる部位へ。白い刀身で鋭く、深く貫いた。白い骨もこびり付いた肉も、刺し傷から波紋を広げるように、サラサラと灰になって生きる者の足元へ散らばっていく。槍の名手が姿を崩していく、最後まで見送ってから、ゆっくりと長く息を吐きながら振り返った。
 あれだけ立派だった重戦士も、もはや物言わぬ灰の山。辛うじて残っていたのは、身に着けていた鎧と汚い羽根飾りぐらいだ。柳火は、視界の奥で身を潜めている影へ意識を向ける。斥候だ、隠密行動に特化した古い武装を着込み、大きな弓と矢筒が視界に入る。しかし、先ほどからどこか様子がおかしい。何よりも、弓を構えておらず、無防備を晒しているのだ。
 そして、少し遅れて気付く。斥候の背後には、もう一つの影があった。壊滅した冒険者達の内、最後の一人が姿を現したのだ。泥と血痕で汚れ、ボロボロに破けた修道服を纏う死者。顔は骨の色と美しくもあったが、それは随分な皮肉だった。祈るように白い手を組み、一歩前に歩み出す。視線を感じる。恐らく斥候と、聖職者らしき死者から。聖剣の柄を握る力を込めて、警戒した。

 「なんの真似――」

 不審な動きに、殺意を含めて問い出そうとした、その時だ。
 柳火の視界は突如ぐらりと揺れて霞み、崩れ落ちるように脱力して、片膝をガクリと地につけた。その際に割れた床を傷付けながらも、魔剣を決して手放さない。先ほど止血は済ませたはずだった。しかし、激しく動けば血が速く巡る、当たり前のことだ。つぅ、と右肩から手首へ流れた一筋の鮮血は、剣の柄を赤黒く汚した。
 誰かの術中に陥れられた訳ではない。それでこそ目の当たりにしている、最後の標的から怪しげな魔力が漂ってなければ、この場に罠が仕掛けられている訳でもなかった。細く、長く息を吐き出しながら、柳火は立ち上がろうとするが、膝に、足に力が入らない。眩暈が収まらない、酷い頭痛がする。額には脂汗が吹き出て、息苦しい。外の雨音だけが、やけに大きく聞こえる。

 血を、流し過ぎた。
 興奮と言う名の麻酔が切れて、それまでのツケが毒のように回って来たのだ。

 手元がカタカタと震えて気付く、布と布が擦り合わさる音。柳火は呼吸を荒げながら、ふらつく意識を辛うじて集中させて、前方に焦点を合わせる。唯一の生きる者へ、静かに距離を縮めて来たのは修道服を纏っている屍だった。武器を持たず、無防備に晒し上げて、両手で水を掬うように、ただ静かに差し出される。不思議と、敵意も悪意も感じられなかった。
 ホゥ、と屍の細い掌から白い光が灯り、やがて光は力を増していく。それは紛れもない神聖魔法、あるいは法術と部類される奇跡だった。奇跡を死者へ授けるなんて、神もエライ物好きだなと心底で呟く。聖職者と斥候は、神聖なる術に影響を受けないのか、一切の怯みもせず光の行く末を見届けている。――否、影響を受けるのは命ある者だけだ。
 骸の手から放たれた奇跡の光を浴びると、柳火は微かな眠気を覚えた。ズキズキと焼けるような痛みを発しながら、鮮血を滲ませていた肩の傷口が、じんわりと塞がっていくのを感じ取る。同時に、赤い生命と共に流れ出たはずの活力も、ふつふつと戻って来るのを自覚した。

 「……一体、どう言う風の吹き回しだ」

 天からの奇跡を受ける前は、いくら力を入れようにも鉛のように重く動かなかった足が、活力が湧いた今はすんなりと立ち上がる。まだ軽い眩暈は残っているが、動く分には問題ない。治療後の状態を確認した元聖職者の骸は、捧げていた両手から光を鎮めた。そして修道服の死者は、赤の他人になにかを伝えることもなく、控えめな動作で斥候が立つ方角へ振り向いた。視線が合ったような気がして、柳火は目付きを鋭くさせ、柄を握る手に力が篭る。
 初撃に仕掛けて来たかと思いきや、戦士と対峙した時には仲間の一人を殺し、今では聖職者と共に、得物も構えず棒立ちとなっている。斥候の動向が、まるで読めないのだ。しかし、修道服の元冒険者が斥候を信頼していることは、なんとなく察することが出来る。聖職者の視線を受けてか、斥候はゆらりと動いた。

 微かに震える右手。柳火は緊張を高めながら、手元の長剣を盗み見る。仄かに白く光るそれは、殺気を放っているようにも映った。しかし、柳火は何を言うこともなく、意識を前に戻す。どうせ、去り際には嫌でもこの手で葬ることになる。急かす正義の意志には、その時が来るまで無視を決め込んだ。

 ――ガンッ!
 その時、静寂が突然として切り裂かれる。その直後も、バラバラと続けざまに金属音がいくつも鳴り響く。
 鋭い音の正体は、斥候の足元に散らばっていた。弓と矢筒、腰に携えた十数本の投げナイフも、ベルトごと外されてするりと落ちる。そして物言わぬ骸は、分厚い布の隙間から細いチェーンを取り出し、それを柳火の前へ差し出した。薄暗い教会の中で、鉛色の鈍い光を放つチェーンは静かに揺れている。よく見ると金属の繋ぎ目には、持ち主の名前らしき小さな文字が刻まれていた。
 続いて、修道服を纏う骸も斥候と同じように、装飾品となる金属を両手で差し出す。白く細い掌に乗っていた金属は、斥候が差し出すチェーンとほぼ同じ物だ。ただ一方の鉛色とは異なり、仄かに青白い光を放っていた。今や遺品となった、錆一つない美しいアクセサリーを寸秒見つめて、そっと息を吐く。

 (あぁ、そうか……)

 元冒険者である二人の死者を見て、柳火は全てを理解した。
 この二人の生前は恋人、あるいは夫婦だったのだろう。魔剣の刃に貫かれ、瘴気に毒されて自我を失っていた可能性。生前から継がれた意志は、かつての仲間達と結んだ絆が呼び覚ました可能性。斥候の読めない行動に、それらが影響を大きく受けていたならば、ある程度納得出来たものだ。柳火が教会へ訪れる前、壊滅した冒険者達の生き残りから聞いたのは、軽い構成だけだった。目の前の関係性も、ただの直感と憶測に過ぎない。
 そして、生き残りへ遺品を届けて欲しいのだろう、と。そう察した柳火は、苦笑をこぼした。

 「元同業者なら、分かってるだろ?」

 タダ働きは御免だと首を振ると、斥候の骸はすかさず空いた片手で懐を探り、小さな麻袋を取り出す。先に袋を受け取り、貧相な中身を確認した柳火は、一つ頷いた。金貨が三枚、銀貨に換算すれば三千枚、お使いにしては充分過ぎる額だ。

 「良いだろう、アンタらの遺品を仲間に届けてやる」

 麻袋を懐にしまってから、差し出された二種の細いチェーンを受け取る。チャリリ、と金属が微かに擦れた音に、目を細めた。錆一つ付かず永遠の絆を夢見て、大切に扱い身に付けられていたのが一目で分かる。薄暗い中、微かに差し込むステンドグラスの光を受けて、異色に輝かせた。
 線のように細い二つの装飾を、右胸の内ポケットへしまった。

 その時、たった一人逃げ帰ってきた、隻腕の男が脳裏によぎった。酷く疲れて、泥さえも拭いきれてない顔。虚ろな目を向けられた時には、褪せた針が胸を突いてきたのだ。同情と異なる、しかしそれと酷似した感情が湧き上がる。隻腕の男へ問いながら、柳火は静かに誓った。
 元々誰から頼まれなくとも、遺品となり得る物が見つかれば持ち帰るつもりだったのだ。恐らくそれが、あの生き残りに唯一してやれることだと、柳火はそう思っていた。かつて、挫折を味わった時に差し伸べられ、背中を押してくれた、泥だらけで無骨な手のように。

 (そう言えば、アイツも冒険者だったな)

 振り向く際に、兜の下で小さく笑みを浮かべる。引き受けた依頼をこなしに、先ほど暴れた灰の山を巡りに歩き出した。
 まずは半壊の講壇から突き落とされた、魔術師の遺体近くへ訪れる。宝石を扱う魔術師だったのか、古い布切れの周辺には、煌びやかな装飾が派手に散乱していた。中でもやはり目に留まったのは、くすんだ宝石が埋め込まれている金色の腕輪。元は右腕に何重も嵌められていた腕輪だったが、守護魔法の効力も錆びついていたのか、落下の衝撃でほとんどが真っ二つに割れている。その中から、奇跡的に割れずに済んだ腕輪だけを手に取った。
 そして柳火は手元の腕輪へと念じながら、異種族が使う言葉をポツリと呟く。すると、金色の腕輪は青緑の発光に包まれ、やがて何事もなく光は消えた。その際、柳火は一瞬意識が遠ざかったが、すぐに気を取り戻す。帰路を辿る最中、些細な衝撃で割れてしまうと堪ったものではない。そんな事故がないようにと、手軽な守護魔法をかけたのだ。その腕輪を、携えているベルトに引っ掛けた。

 次に向かったのは、どっさりと積もった巨体の跡。巨大な斧さえ軽々と持ち上げ振るっていた姿は、もし生前に目撃していれば逞しく、そして勇ましく映ったであろう。しかし汚染された屍とならば、悪夢よりも質の悪い恐怖が這いずっていた。
 黒い重鎧に絡みついていた瘴気はすっかりと解けて、ぽっかり空いた大きな穴を、天井に向けながら転がっている。その横には灰が覆い被さり、ますます繊細さを損ねた羽根飾りを拾い上げた。血に塗れた鳥の羽根を連想させる装飾から、微量ながらも魔力を感じ取る。気休め程度の守護が宿るそれは、とても軽かった。そのお守りは今でも作用されている、つまり強力な瘴気に食われることなく、ずっと何かを守り通していた証拠となる。
 だが生憎、今回が初対面だった男には、ドラマチックな想像が出来ない。しかしきっと、仲間だった人には何かしら感じ取ってくれるだろう。纏わりついた灰を軽く払ってみたが、相変わらず汚れたままの羽根飾りを、そのまま左の内ポケットへしまい込んだ。

 「…………」

 そして最後に、折れた槍と寝そべる灰の近くで、柳火は歩みを止めた。灰の上を覆っている、若草の外套を掴んで退けると、金色のチョーカーが顔を出す。灰から掬い上げると、チョーカーには見覚えある小さな宝石が、繊細に埋め込まれてることに気付いた。薄暗い光を受けて、くすんだ色を返す宝石を見た直後、魔術師との関係性に線が繋がった気がした。柳火は遺品から目を逸らし、そっと溜め息を吐く。
 生前に会ったこともない、部外者には関係ないことだ。壊滅した亡者の生前は、もしかしたら一方的に認知していたのかもしれないが。何がともあれ、死しては全てが塵となれば、言の葉を触れることもなくなる。虚しい、幼少期から住み着き育ってしまった空虚が嗤った。あれほど名誉を築き上げたにも関わらず、今や廃教会の床で姿形が保たれてすらいないのだ。これを虚しいと呼ばずに何と言おうか。
 だが、虚空ばかりが埋め尽くす心の中で生じた想い、唯一叶わぬ願いも確かに存在していた。

 「アンタ達とは、生前に会ってみたかったな」

 金のチョーカーに付着している、遺体の成れ果てを払ってから、振り向き様に叶えられぬ願いを呟いた。
 視線の先には、修道服の白い骸と、厚い布を纏う薄汚れた骸。心なしか目が合い、音もなく狼狽えた、気がする。そして白い骸は、静かに手の指、細い骨を組んで祈りを捧げた。天でふんぞり返ったカミサマからは、幾度も裏切られ見放されただろうに。骸が最期までソレに感謝を示している姿は、痛々しく映った。
 金の腕輪をぶら下げたベルトに、同色のチョーカーを追加してから、改めて残った元冒険者と対峙する。ずっと右手に握り締めていた手元へ視線を落とすと、聖剣が仄かに白く発光していた。静かにその時を待ち望む意志を読み取って、思わず苦笑する。

 「他に遺言はないな?」

 短く問うと、残された二つの不死者は共に頷いた。返答を合図に、剣を握り締める力を強めて、ヒュッと弧を描いて空気を切り払う。対象を定める先は、死した純白の修道女から。これから二度目の死を迎えると言うのに、抵抗の意志も見せずただひたむきに祈る姿は、生前ならさぞかし美しかっただろう。
 すぅ、と呼吸を一つ。止めて、床を強く蹴った。距離を瞬く間に詰め、原動力となる核があるべき部位へ、白い刃が届く――はずだった。

 「なっ……!?」

 直前、黒い影が対象の前に割って入る。斥候だ。
 庇うように立ち塞がった斥候の心臓部を貫き、背中に突き出た刃が聖職者の核に串刺した。――聖剣の刀身に触れた部位から、焼き尽くさんばかりの白い炎が勢いよく溢れ出て、激しさを加速させながら二つの骨を覆い尽くしていく。想定外だった。柳火は驚きのあまりに思考が一瞬停止し、言葉を失う。
 轟々と燃え盛る白い炎は衰えを知らず、廃教会を最盛期のように眩しく照らしていった。この世に滞る怨念を、無念を、塵一つ残さず焼き消し、全てを天に還していくように。焚火のように時節、パチパチと小さく爆ぜる。聖剣から伝わっていた感触に手応えがなくなった頃、突き刺していた得物をゆっくり引き抜き、輝く火が燃え尽きるまでぼんやりと眺めていた。

 もし、万が一、自身が斥候と同じ状況下であればきっと同様に、黙って見ていられないだろう。例え死後の呪いを受けようと物ともせず、抗い、守り切ろうと必死になるのだろう。そして、柳火は無言で首を振る。否、己の死後など現世に留めてはならない。

 「おやすみ」

 火種となろう不浄者が、白き神聖な炎と共に消え去ろうとしている。今や骨すら原型も留めておらず、光の煙に紛れて輪郭が定かでない。生前知りもせず、死後も言葉を交わすことさえなかった、柳火はそんな元同業者の去り際を、最期まで見届けていた。きっと、この件は忘れることもないだろう。
 いよいよ目の前の火種はなくなり、爆ぜていた音も沈黙し、廃教会は厳かな静寂に再度支配されようとしていた。その時、扉の奥から穏やかな風が悪戯に入り込む。白の炎はふわりと、風に攫われるように消えていった。

 これで、用事は済んだ。入室時と比べ、随分派手に荒らしてしまった大広間を見渡す。床にはいくつも叩き割り、傷を抉り、血で汚した。一部には強烈な爆発を起こした後の黒い痕跡、雨漏りの箇所も多数。まるで嵐にでも見舞われた大惨事であったが、捨て地を前に誰も責めやしないだろう。
 続いて、右の手元へ視線を落とした。鞘の行方は知れず、薄暗い光を受けた聖剣を握っている。あれほど急かすように震え殺気立てていたのが、全てを葬れば気が済んだのか、今や一見変哲もない剣に成り果てていた。依頼人からは『形見』と称し、回収を頼まれた魔剣には、穢れの影も見当たらない。
 柳火は踵を返した時、柔らかな風を受けて、血糊が付着した古い外套を翻した。

 「次は、来世で会おう」

 かつて名声を上げてきた、英雄達の墓場を背に、柳火はその場を後にした。

小説

【長編】

  • B.Mercenary (未完)

  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】

  • in this hopeless world (完結)

  •  01 / 02 / 03

    【短編】

  • Just sleeping, probably

  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意

  • Nothing else matters
    ※ 流血注意

  • That's what they call me
  • 他ジャンル