裏路地商店 -葉月亭-

管理人『柳の灯』による、フリーゲーム『CardWirth』関連の個人サイトです。

in this hopeless world 02

【Title:構成物質 (http://kb324.web.fc2.com/)】

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 (呪われた剣と意思疎通してたら、元の姿に戻りました。……なんて、言えないよなぁ)

 あれから一週間と数日が経過したある日。依頼人の別荘へと訪ねた柳火は、一人で考えあぐねていた。
 魔力の漏洩を防ぐ、特殊加工が施された布を巻き付けた、未だ鞘知らずの聖なる剣を尻目に、柳火は目前の課題に思考を巡らせている。
 問題の『呪われた剣』を持ち帰ったつもりが、それは何一つ穢れのない『聖剣』となっているのだ。それを依頼人に、どう説明するべきか頭を抱えていた。高貴の出となるお嬢様である依頼人に、そう伝えても到底信じられるような話ではない。下手すると、同業者にさえ信じてもらえないだろう。冷静に考えれば、経験した出来事の次元がまるで異なるのだ。
 神殿で見かけるような純白で頑丈な柱を、剣一本と並んで寄りかかり、柳火は腕組みしながら天井を見上げた。視界一面に広がる天井を、シャンデリアたった一つで照らしている。天井は成人男性約四人分ほどの高さを誇っており、それにも関わらず微量の魔力を感じ取れた。一見高価な飾りと思わせるその正体は、照明の魔法具。壁を彩る壁画の数々、召使いが使用するであろう箒、棚に飾られた小瓶にさえ、時に魔力の灯火が確認出来た。

 「…………」

 ここは、魔導都市カルバチア。魔道を目指す者、魔道に携わる者、魔法に関する研究を重ねる者など、魔法関連の学び舎として有名な都市である。実際、冒険者としての依頼で何度も訪れたことがあれば、魔法具の相談や知識を譲り受ける際にも、よく立ち寄ったものだ。そんな魔道の専門都市から少し離れた場所に、この別荘が立ちそびえていた。
 『形見』の回収が成功した報告を聞きつけた依頼人は、一通の手紙を使いに持たせて柳火へと送る。その手紙には、この別荘で実物の引き渡しを行い、報酬を支払う趣旨が書かれた。相変わらず細く美しい字だなと、手紙を受け取った男は誰に宛てることもなく心底で呟く。
 それから数日後、柳火は布で縛った剣を片手に、魔導都市カルバチアへ訪れた。指定された住所へ辿り着いた頃には、依頼人は形見を受け取る準備に取り掛かっていた。一人の召使いに出迎えられ、その際に回収物を黙認し、ホールの中で少々の待機時間を与えられ、……今に至る。

 依頼人が執り行っている準備の話を聞かされた途端、柳火はようやくそこでハッと気付き、内心冷や汗が流れ落ちた。ここに住む者は皆、旧き時代から積み重ねてきた瘴気を纏う、醜く禍々しい剣が持ち込まれていると思っているのだ。準備と称するならば、恐らく浄化か、封印にあたる大掛かりな儀式か。

 ――非常に、マズい。

 確かに指定されたブツに違いないが、呪いは完全に解かれている。寧ろ聖剣としての機能を取り戻したまであり、そんな経緯をどう説明しろと言うのだ。腕の立つ聖職者であらば、場合によっては可能だろう。しかし柳火はその手の者でもなく、いくらカミサマに祈れど、祈ったところで奇跡は降りやしない。浄化を頼んだことにするのは。脳裏には該当する知人の顔が浮かんだが、柳火は首を振る。浄化は頼まれていない、良かれと思って余計な施しはしない方が無難だろう。
 様々な案を、思考を頭の中で必死に掻き回すが、真実と信頼がせめぎ合う度に退路が塞がれる。いっそ開き直って、ありのままの真実を素直に話すべきか。到底信じて貰えないだろうが、まるで絵本に綴られる、子供に読み聞かせるようなおとぎ話を。柳火は天井を見上げたまま、そっと長い溜め息を吐いた。その時だ。

 「――、柳火様?」
 「うぉっ!?」

 完全に意識が思案で埋め尽くされていたせいか、突如馴染んだ名を呼ばれて驚き、天井に向けて閉じていた瞼を開けて視線を降ろした。数秒前にも何度か声掛けていたのか、目先の見覚えある女性は、怪訝そうに小首を傾げている。先ほど玄関口で出迎えてくれた使いだ。小綺麗な衣装を身に着けた使いは、少々心配を帯びた表情を浮かべている。それほど思考に没頭していたのだろう、柳火は小さく笑いながら謝罪を述べる。

 「悪い、少し考え事をしていたんだ。疲れている訳じゃあない」

 左様でございましたか、っと心配を一旦晴らした様子で使いの女性はお辞儀した。
 準備が出来たらしく、案内の意志を汲み取った柳火は、名残惜しくも寄っかかっていた柱から背中を剥がした。いつまで経っても名案が浮かばなかった末、覚悟を決める。布を丁重に頑丈に巻き付けた、この依頼最大の問題児を逆手に持った。廃教会で力を解放した時と同じ、持ち手からは温もりが微かに伝わって来る。
 柳火はもう一度息を長く吐いてから、依頼人が待つ部屋への案内を頼んだ。やはりお疲れではと問われたが、緊張しているだけだとやんわり誤魔化した。
 別荘とは言え、敷地が膨大に確保されている屋敷も、来客は使い無しでは歩けない。細かな刺繍が施された、真っ赤に伸びる絨毯を辿り、依頼人が待つ部屋へ歩みを進めた。案内の最中にいくつもの似た扉を見つけるが、果たして住人はどのように把握しているのかと疑問に思う。金持ち貴族と接する機会も少なくなかったが、未だに腑に落ちる答えは得られていなかった。

 歩き始めて数分。潔白とした扉の前に足を止めた召使いとは、数歩遅れて足を止める。背が高く横にも広い扉の傍に、くすんだ銀のプレートが掲げられており、そこには遥か昔に使われていた文字で『応接室』と刻まれていた。軽く扉を叩くと、落ち着き澄んだ声が返って来る。失礼しますと一礼、断りを入れてから大きな扉が開かれた。

 「お待ちしておりました、柳火様」

 輝かしく華やかな内装の中、使いを複数人連れた女性が立っている。
 今回の依頼人となった女性、彼女はディアナと名乗った。化粧を施した白い肌と、ウェーブがかかった雪色のセミロング。前髪から覗くコバルトブルーの瞳は、喜びを露わにしている。紺を強調した派手なローブを着込んでおり、一目で地位を知らせる姿だが、その隙はあまり感じさせなかった。

 そして入室して気付いた、もう一つの視線。柳火は気になって視線の元を辿ると、部屋の隅に貧相な人影が縮こまっている。かつて街の危機を何度だって救ったであろう、隻腕の男。しかし今やその男は、豪華を彩る部屋にはあまりに場違いなほど、泥と血で汚れた服装を身に纏っていた。無気力な調子で床に座り込み、力なく垂れた目の下は、色濃い影が住み着いている。
 使いは非常に醜い存在を気付きながらも、追い出す真似はせず、ただ視界に当てることもなかった。……いや、出来なかったに等しいのだろう。
 人影の位置を把握した柳火は、視線を前に戻して改めて依頼人へ歩み寄る。依頼人ディアナは落ち着きを払った様子で、柳火が目の先に来るまで待ち続けていた。そして途中で気付く。柳火だけでなく、背後の泥鼠にも目線を送っていたことに。魅入られるほど美しい瞳に、憂いの影が灯ったことも。

 「さぁ、『形見』をこちらへ」

 逆手に持っていた剣を持ち直し、刀身を横に寝かせながら捧げる姿で、依頼人へ差し出した。布で覆い隠されているが、刀身は自ら陽の光を放っている。柄から感じ取れる温もりも含めて、言い逃れは不可能だろう。
 柳火は、依頼人に伝える言葉の出だしに悩み、そのまま無言を貫いた。両手に圧し掛かっていた重みが、ふっと軽くなる。寸秒後、すぐさま異変に気付いた依頼人は、静かに口を開いた。後ろに控えた使いも、ほんの一握りだけ違和感を感じ取ったのか、一部が怪訝そうな表情を浮かべる。

 「あら、これは……?」

 小首を傾げながら、ディアナは大人しくしている剣を直視する。依頼人の仕草に気付き、名を呼びながら一瞬止めに入ろうと動く気配。だが既に遅い。刃を包み込んでいた布が、するりと床へ滑り落ちてしまった。
 次の瞬間、魔力の波動が周囲に広がり、異変が全てに知れ渡る。無論、部屋の隅に力なく居座っていた隻腕の男にも、部屋を案内した使いにも。布から解放された聖剣は、まるで窮屈な空間から飛び出たかのように、抑制され続けていた魔力を放出させたのだ。
 不思議そうに聖剣を見つめる依頼人へ、柳火は事情を話すべく一歩前へ踏み出し、少し間を空けてから口を開いた。

 「俺が発見した当時は想定された通り、その剣は呪われており、魔剣と化していました」

 柳火は誤解のないよう、経緯をなるべく丁寧に、尚且つ正直に話した。
 剣を触れた瞬間、幾多の斬られた亡者が執拗に魔剣を狙ってきたこと。それらを排除しなければ、回収さえ困難だと判断したこと。魔剣は、正気を失いかけるほどの穢れを纏っていたこと。そんな魔剣から伝わって来た、確かな意志を汲み取り疎通を試みたこと。そして、剣は呼応するように穢れた鎖を振り解き、聖なる力を取り戻したこと。もし振りかけた声を無視されていた場合、恐らく己の生還はなかったことも付け加えて。報告の始めは若干ざわついていたものの、気付けばおとぎ話を清聴する子供のように静まっていった。

 事の説明を一通り話し終えて、一つの冒険譚を読み終えた感覚に陥る。終始ポカンとした顔もあれば、眉をひそめる人も居る。中には、子供心がくすぐられて夢中に聞き入っていた人もいた。剣の柄を握り締めながら清聴していたディアナは、果たしてどれに該当するか。彼女の表情から察するに、三番手であろう。

 「信じられない出来事なのは百も承知です。証拠を示す品もありませんし」
 「いいえ、私は貴方がお話されたことを信じましょう」
 「……え?」

 柳火はそれぞれの反応を眺め、自嘲気味に笑いながら、経緯の締めくくりを紡ごうとした瞬間。ディアナは緩く首を横に振りながら、ハッキリした強いトーンで言い放ち遮った。想定外の返答を受けた柳火は驚き、戸惑いの短い声を上げる。他に語る者もいなければ証拠品もなく、おとぎ話のような真実を語ろうと、一体どこに信じられる要素があったと言うのか。少なくとも、彼女以外の貴族なら鼻で笑っていたであろう。
 依頼人は意志の強い瞳で、真っ直ぐと自由人の姿を射止めて、それから剣へ視線を落としてから柔らかく笑った。

 「柳火様が経緯をお話されている間、剣から確かな声を聞きました」

 束の間の沈黙、そして動揺が波紋のように室内で広がる。召使いの目線が交じり合い、意志を持つ剣へ、または柳火へ、そしてディアナへと注目対象が泳いでいた。前方の使い達だけではない、背後からも布が擦る音が生じ、泥鼠となろう男にも波紋が伝わったようだ。
 事実を語るディアナの言葉に、唯一そこまで動揺を見せなかったのは、経験者ただ一人だった。

 「『微睡む意識の中、貴方の雄姿を焼き付けていた。亡者の群れへ、血を流しながら果敢に挑んでいた。迫る死を払いながら、私を呼びかけてくれた。この世界が好きだから、腐り落ちる世界を救い出したい一心から、貴方の声に目覚め応えたのだ』、と。ただ、自ら血を剣に塗りつけ制御するどころか、操り、力を引き出されていたことは、柳火様のお話から伺えませんでしたが……。真実と見て間違いないでしょう」
 「うっ……、血生臭い話をここに持ち込めるワケがないでしょう」
 「ふふ、柳火様のお気遣い、感謝致します」

 廃教会に佇んでいた無機物の記憶。それを語り紡ぐディアナに、会場は一層どよめいた。報告内容と照らし合わせるように手札を並べる中、思わぬ形で余計なチクりが入った柳火は、ばつの悪そうな調子で白状する。動揺が続く使いは落ち着く気配もなかったが、無理もない話だろう。過ごしてる日々の景色がまるで異なるのだ。ディアナは使いの混乱に動じることなく、悪戯っぽく微笑みながら礼を伝えた。
 だがそれから一転、彼女は手を頬に当てて眉尻を下げる。

 「柄に刻まれたとされる旧い家紋も確認出来ました。私達が求めていた『形見』に間違いありません。ですが……」
 「その剣は、どのように処理されるつもりで?」

 ディアナが明かした目的の大本命は、滅んだ国の調査。その調査を円滑に進める為、最も危険視した内の一つ、剣の回収に努めたのだ。だが、回収後の処置を聞かされていなかった柳火は、依頼人へ問い出す。ある程度は想定も出来ているが、敢えて聞き出すのは、信頼を賭けた確認みたいなものだった。

 「報告通りの姿であれば、浄化と封印を施す予定でした。浄化は不要ですが、封印するべきか、正直私だけでは判断し難い問題です。……少々、お時間を頂いても?」
 「どうぞ、特に急ぐ予定はありません。丁度、同業者にも用事がありますし」
 「そうでしたか。それでは、少し相談して参ります」

 ディアナは応接室から退室する際、足元に落ちた布を拾い上げて、聖剣の刀身に再度巻き付けた。魔力の漏洩が収まり、ピリピリとしていた空気感がふっと和らぎ、同時に張り詰めていた緊張感が緩んだのを自覚する。依頼人は剣を抱えながら、案内役の召使い一人だけを残し、控えの使い全員を連れて、扉の裏側へと消えていった。

 だだっ広い豪華な一室には、柳火と召使い、そして隻腕の冒険者が残される。
 柳火が部屋の隅へ視線を投げかけると、男の目には相変わらず生気と感情が宿っておらず、ただただぼんやりとしていた。数週間前に初めて会った時は、もう少し活力が垣間見えていたものの、今はすっかり枯れ果ててしまっている。目に当てただけで痛々しく映る泥鼠の元へ、柳火はしっかりした足取りで距離を縮めていった。
 天井と窓から注ぐ光を背中で受け、隻腕の男に影が覆う。近づいてからより鮮明に映る、目の下の隈が色濃く、頬がこけ、唇もすっかり渇ききっていた。これでは歌もろくに語り紡げないだろうと、唯一の生き残りを目に思う。無理もない話だ、瞬く間に人生の頂きから地の下へ突き落とされたのだから。秒針が何度か鳴って、男はようやく同業者の存在に気付いたのか、顔を上げて虚ろな目を晒した。
 柳火は携帯していた自前の水筒を取り出し、足元に蹲る男へ差し出す。

 「飲みな、それじゃあ声もろくに出せないだろ」
 「…………」

 カサカサの唇が微かに動く。しかし、案の定声は出ていない。血が染みた古臭い外套から、のそりと右手が伸びて水筒を掴んだ。拙い手付きでキャップを開け、それから静かに澄んだ水を流して、渇いていた喉を潤していく。その量は多いが、例え空っぽになったとしても、柳火は気にしなかった。これは彼を生かす手段に過ぎない。
 男は水を飲み終えて、何とか湿らせた口周りを右袖で雑に拭ってから、蓋閉めた水筒を返した。柳火は返却品を元の位置に戻してから、男の潤った喉から第一声が放たれる時を待つ。先ほどの一連で、くすんでいた瞳に仄かな生命が灯り、意志が再度宿り始めていた。唇が再び動かされ、今度は低く唸るような地声が耳に届く。

 「水、助かった」
 「構わないさ、困った時はお互い様だろ」

 まだ数週間前よりいくらか草臥れているが、入室時の姿よりはマシになった。礼の一言に返し、兜の下で目を細める。死に損ないの後追う末路は避けることが出来て、安堵したと言うべきだろう。仲間の壊滅により、自暴自棄となった生き残りの気持ちも、痛いほどに理解出来てしまうのだから。
 再びのそりと布が擦れ、こびりついていた土の粒が、上品な絨毯にパラパラと落ちる。
 男は諦めが満ちた声で、静かに問うた。

 「『死神』が詩人の成れ果てに、一体何の用だ?」
 「アンタにお届け物だ。剣の回収がてら、もう一つ依頼を引き受けてな」

 柳火は片膝を付いて屈み、座り込んでいる詩人の目線と合わせてから、ベルトに吊り下げていた麻袋を取り出す。様々な物品が詰められた袋は、中が整理されておらず混ぜ込まれて、外部へ突き出た凹凸だけでは想像もつかない配達品となっていた。
 宛先となる者は驚いてるのか、あるいはまだ意識がぼんやりしているのか。赤の他人には心中の判断が出来かねない様子で、お届け物と称された麻袋を受け取る。無表情に近い無感情のまま、片手で時間をかけて粗末な紐を緩め、袋の口を広げた。

 「――――っ!」

 直後、男の喉がヒュッとか細く鳴り、焦点が合っているかさえ怪しかった目が大きく開かれる。袋の底をつまんでひっくり返すと、柳火が廃教会にて回収した、乾いた泥や黒い血がこびりついた遺品が次々と溢れ出した。
 宝石が嵌められた金の腕輪と、同色のチョーカー、汚れた羽根飾り。色の異なるチェーン、そして金色の硬貨が三枚、麻の布から滑り落ちる。男はそれら全てを片手で掬うように拾い上げ、心臓があろう胸元にまで引き寄せて、そこで初めて表情を露わにした。奥歯を噛み締めて声を殺し、深く項垂れたまま動かなくなる。瞼に溜め込まれた雫は、やがて瞼から離れて絨毯に染み込ませた。一粒が降り始めればもう一滴、ゆっくりと、ボロボロと降り注いでいく。
 乾ききっていたはずの荒野に押し寄せた、感情の濁流も徐々に勢いを増してきたのか。押し殺し塞き止めていたモノは、とうとう決壊を引き起こす。怒涛の感情に堪え切れなくなった男は、声にならない叫びを上げ、遺品をより強く握りしめた。

 「逃げ延びた仲間に渡して欲しい、と。どう扱うかは、アンタが決めると良い」

 隻腕の男は無我夢中に、今まで抑えていた想いを誰に宛てることなく喚き散らす。柳火はそれ以降慰めることもせず、彼の気が済んで大人しくなるまで、その場から動かず無言を貫いた。
 今に始まったことではない。柳火は似たような光景を、何度だって見てきた。行き場のない怒りを向けられ、八つ当たりされたこともあれば、何も言うことなく去り、行方知れずとなった同業者もいた。冒険者を辞めて、拠点としていた交易都市リューンから離れた者もいる。冒険者が名を上げる道の途中、精神が未熟なまま取り残された者は、幾多の末路を辿っていった。
 しかし、目の当たりにした男はどうだろうか。充分な力と名声を上げたはずの者達が、絆も強く固く築かれていたはずの者達が、怪我は負えど無事に依頼をこなして生還するはずの者達が、一瞬にして天地がひっくり返ってしまったのだ。得たモノが大きければ、その分反動も計り知れないだろう。

 壁に掲げられた時計の長針が、何度動いたかは覚えていない。
 少しずつ落ち着いてきたのか、隻腕の男は袖で濡れた跡を乱雑に拭い、ゆっくりと顔を上げた。目元は腫れてしまっているが、瞳を濁らせた汚れは溶けて、小さな光を宿している。哀愁を一気に暴発させた後、多少気を晴らすことが出来たのだろう。かと言って、まだ立ち直った訳ではない。

 「魔剣に触れ、斬られた奴は全て不死者となっていた。アンタの仲間達も例外じゃあない」
 「……葬ってくれたか、全部」
 「あぁ、『死神』としての役目は果たしておいたよ」

 柳火はブレないトーンで返し、頷く。そこでようやく同業者同士、互いに目が合ったような気がして、似たタイミングで口角を上げた。流石死神だと褒め称える言葉と、安心しろと優しく掛ける言葉が交差する。詩人の瞳は、よく見れば柔らかな紫、ライラックに映っていた。
 気持ちに少し余裕が出来たのか、隻腕の男は大きな手のひら一つに収まった、数々の遺品を改めて視界に当てる。それからすぅ、と静かに目を細めて、男は再び死神へ問うた。

 「依頼者は、どんな奴だった?」
 「斥候、……もしくは狩人とでも言うべきか」

 柳火が事実を答えると、何を疑うこともなく残された者は、そうか、と短くしみじみと呟いた。果たして斥候がどのような者だったのか、全く付き合いがなかった赤の他人は知る由もない。だが、かつて仲間だった男は目を細めたまま、思い出に浸り噛み締めていた。特に視線の先は鉛のチェーンではなく、金の硬貨を見つめている。
 会話が途絶えてから数分の間、沈黙が広い一室全体を包み込んで支配した。柳火の背後、扉の傍に立つ使いは身動き一つせず、遠くから冒険者達のやり取りを見守っている。それを監視と呼ぶには疑念が足りず、慈悲が有り余っている視線だった。
 その時だ。思い出に浸っていた隻腕の男と、言の葉を探していた柳火は、不意に視線を上げる。壁の向こう側にある、だだっ広く長い廊下から響く、微かな気配と足音を察した。大勢を連れて時節交わされる談笑と、厳かな空気感が混ざり合っている。そして何よりも、霊も逃げ出すほどの神聖な気配が感じ取れた。どうやら、依頼人の相談事は終わったようだ。

 「これからどうする?」
 「あいつらの葬儀を済ませてから考えるつもりだ。……『死神』も、待ってくれやしないんだろ?」

 隻腕の男は、仲間が遺したそれらを視界に留めながら、淡々と呟くように返答する。かつて生きて肩を並べて、手が届くほどの傍で綴られていった、武勇伝を懐かしむように、寂しげに目を細めた。寸秒後に、独りの視線を『死神』へ投げやって、再び目がかち合う。
 柳火は想定外の流れに思わずきょとんとして、束の間を置いて理解し、そして笑った。冒険者と言う生き物は、一ヵ所に留まることを知らず、動けるようになれば、すぐ風の如くどこかへと立ち去ってしまう。冒険者は公務員の対義語と呼ばれるほどに、大人しくしていられないのだ。同時に、隻腕の男が投げかけた言葉から、冒険者を辞める意思が読み取れた。

 「待つさ。アンタが帰るべき場所に、そこへ送り届けるまでは」

 柳火が偽りなく真っ直ぐに応えると、男の目は驚いたように大きく見開かれる。片手に寄せ集められた、多くの遺品を握り締める音が、鼓膜をくすぐる。先ほどまで散々流したにも関わらず、また雫を一筋流し、瞬きもせず言葉を失っていた。
 男が向けるその視線を、柳火は知っている。今まで何度も向けられた、純粋な憧憬が込められている眼差しだ。おとぎ話で登場する勇者に魅入られた少年が、熱烈に送る視線と酷似している。唯一異なるのは、隻腕の男は既に、幾度と憧憬の眼差しを受けながら、数々の名誉を掴み取った内の一人であったこと。英雄を謳い称える男の瞳は、驚きから感心へ。小さな溜め息と共に、柔らかな紫の目は細められた。

 「道理で、『俺達』が敵わないはずだ」

 沈黙が寸秒。否、それよりも長かったかもしれない。
 巨大な扉が開く音も、人の声も、全てが静寂に巻き込まれたように遮断された。左胸が高鳴り、体中が熱くなる。柳火はただ、目の前の男を凝視していた。僅か寸秒、不意に感じ取れた異質の空気感。目の前で草臥れている元英雄とは、また別の人格が現れたような違和感。しかし、一呼吸を置いた頃には、異様な気配が消え去っていた。

 「……柳火様?」
 「あ、あぁ。……すみません、ぼーっとして」

 直後、依頼人のディアナが怪訝な表情を浮かべて、控えめに肩を揺すりながら、名前を呼びかける声が聞こえる。ハッと我に返った柳火は、幻想を払うように首を振り、心配そうな女性を前に、曖昧に笑って誤魔化した。改めて隻腕の男を見ると、纏う雰囲気も元に戻っており、仲間の幻影も背負っている訳でない。出会った時と変わらず、独りだった。
 ディアナの後ろに控えていた使いの男性から、報酬の話が粗方話し終えたことを伝えられ、改めて応接室の中央部へ誘われる。隅に置かれた吟遊詩人と目が合うと、先ほどの表情とは異なる、不器用な笑顔で見送られた。柳火は屈んでいた姿勢から立ち上がり、緩やかに踵を返す。

 依頼人ディアナと柳火は、応接室の大体中央部で立ち会う。ディアナの背後には、心なしか数名増えたメイドと執事が背筋を正し、中央のやり取りを見守る姿勢を取っていた。ディアナの右手側には布に巻かれた聖剣を抱え、そして左手側には膨れてる袋を抱えた執事が、沈黙を守りながら柳火を見つめていた。その視線に大した興味も示さず、柳火は依頼人の言葉を待つ。
 全員が静まったタイミングを見計らって、依頼人は姿勢を正し、頭を深く下げた。

 「改めまして、『形見』の回収をありがとうございました」

 泥で這って来た冒険者を見下す素振りも見せず、ディアナは先ほどの相談した結果報告を連ねていく。

 「報酬の件ですが、追加報酬として金貨二枚を上乗せ。そして、『形見』を貴方に授けます」
 「……本当に、それで良いのですか?」

 依頼人からの申し出に、柳火は思わず聞き返してしまった。報酬の増額は期待する可能性として考えていたが、聖剣の行方は例え封印されずとも、てっきり家宝として保管されるものかと思っていたのだ。それがたった一度依頼をこなした程度で、しかも世界を救う勇者でなく、あくまで金と危険を天秤にかけて動く冒険者に託すとは。驚き以外のリアクションが浮かばなかった。
 想定外の追加報酬に、戸惑いを隠せずにいる冒険者を前に、ディアナはこれまでに秘めていたであろう無邪気な笑みを見せる。

 「確かに、封印あるいは保管することを考えていました。ですが『彼』の望みと、柳火様の確かな腕前。それらを知ってしまった以上、貴方に託すのが最適ではないか、そう判断を下したまでです。ですが、強制はしません。私からのお願いとして受け取って頂ければ、と」
 「…………」

 柳火はその言葉を聞いて、静かに溜め息を吐いた。現状逆らうつもりもない依頼人から、そのように頼まれてしまっては首を横に振ることも出来ない。ディアナの華やかな笑顔は、いっそ清々しいまでに咲き誇っており、一瞬だけ確信犯を疑った。
 この事態を引き起こしてしまった種は、己にある自覚は持っている。“腐った世界を救う、真の力を俺に見せつけろ”と、勢いづけて吠えたのも事実だ。始めから逃げ場が設けられていない。否、逃げ場を潰したのは己自身だ、今更言い逃れなど不可能だろう。勇者ではなく、冒険者なのだと。手にこびり付いた泥を見下ろして、自分自身に言い聞かながら、柳火はゆっくりと口を開く。

 「……大切な家宝をお預かりする前に、俺からは一つだけ、予め伝えておきたいことがあります」
 「はい、お聞かせ下さい」
 「俺は、いえ、俺達冒険者は、ある日突然命を失いかねないモノです。依頼中は常に危険と隣り合わせで、例え力を付けた人も帰らぬ人となり、最悪遺体どころか、遺品すら身内の手元に戻らないこともあります。それは、俺も例外ではありません」

 しん、と静まる広い空間の中、柳火は淡々とした調子で現実を語り紡ぐ。何度、物言わぬ遺体を見てきたか、巨大生物の餌として食われる光景を目の当たりにしたか。仲間を失い涙を流す同業者を、星の数ほど見送ってきた。しかしそれは決して他人事ではなく、今この場の語り部も含まれている。冒険者となり突き進む者、誰にでも起こり得る事態なのだ。
 ディアナや控えの使いも、皆無言で耳を澄ませている。冒険者と貴族では過ごす環境が泥雲の差であり、理解されることは大して期待していない。ただ柳火は、冒険者にモノを託す、その意味を知って欲しかった。

 「もし俺が命を奪われたとして、後に遺品としてその聖剣が、ディアナ様の手元に戻るとは限りません。強大な敵を相手に、その聖剣が折れてしまう可能性も充分に考えられます。託されるからには無下にするつもりはありませんが、必ず帰って来る保証もありません。……それを、貴方達に知っておいて欲しい」

 ディアナから、コバルトブルーの真剣な眼差しを受け止め、柳火もまた兜の下で、微かに異なる青の瞳を合わせた。
 語り部の役目を終えた、沈黙を合図に貴族の彼女は、小さな肩から雪色の髪をさらりとこぼす。仕草はゆっくりと、しかし芯の強さを感じる瞳は一切の濁りなく、ただ純粋な美しさを誇っていた。薄紅色の唇に弧を描きながら柔らかく笑って、静かに頷く。

 「それでも私は、貴方にこの『形見』を託しましょう」
 「なっ」
 「それに、私もこの世界を愛していますので」

 力強い返答に、柳火は思わず正気かと言葉が喉にまで這い上がったが、無理矢理飲み込んだ。
 気を良くした貴族にこの話を聞かせれば、大抵は財宝を惜しんで縋るように手放さなくなる。親切な貴族からはそれでも受け取って欲しいと、財宝を譲り受けることもあったが、それは極めて稀な話だ。だが今回の追加報酬は、今までと桁が違う。旧き時代から存在している聖剣など、果たして泥塗れの手で触れて良い物なのか。少しだけ、躊躇していた。驚きのあまり、思案を危うく吹き飛ばしかけたが、辛うじて冷静さを取り戻して思考を巡らせる。
 やがて柳火は、細く長い息を吐いて、意を決したように深々と頭を下げた。

 「分かりました。貴女の大切な『形見』を、お預かりします」
 「交渉成立ですね」

 顔を上げると、ディアナは嬉しそうに微笑み、聖剣を抱える使いへ目配せした姿が窺えた。使いは素早く剣を現時点の主へ手渡すと、役目を終えて速やかに控えていった。白く細い指を魔法の布に潜らせ、するりと解かれていく。姿を露わにした刀身から、再び魔力が溢れ出した。遥か遠くの時代、あるいは未だ見ぬ土地にて、騎士の名誉が授かれる儀式のように、聖剣が目の前でゆっくりと掲げられる。
 柳火は跪くことなく一連の動作と、これから共に道を切り拓くこともあろう、一本の剣を視界に収めた。きっと、この大層な儀式が行われようと、今後も今まで通りに数々の依頼をこなしていくのだろう。国を守る騎士でもなければ、衛兵でもない。名も知らぬ旧き一族の『形見』を手にしても、切り拓く為の手段が一つ増えただけだ。
 ディアナは、かつて呪われていた白き剣を掲げながら、天へ向かって祈りを紡いだ。

 「我々の未来に永劫を。風なる冒険者の行き先に、幸あれ」

小説

【長編】

  • B.Mercenary (未完)

  •  00 / 01 / 02 / 03 / 04

    【中編】

  • in this hopeless world (完結)

  •  01 / 02 / 03

    【短編】

  • Just sleeping, probably

  • He has spoiled the whole thing
    ※ 流血注意

  • Nothing else matters
    ※ 流血注意

  • That's what they call me
  • 他ジャンル